2021年4月14日水曜日

月によるセルフチェック1 月がどこにいるか

4月もはや中盤になりました。
新年度から新しい環境に進んだ方、或は周囲が変わった方、
おめでとうだったり、寂しかったり、
不安だったり嬉しかったり、いろいろある春ですね。

そんな時に、ふと気になるのが
今の運気や流れかもしれません。
勿論その都度、ご依頼いただいたり、
あらかじめ長めの流れを聞いておく
という方法もありますが、そこに
セルフチェックも加えてみてはいかがでしょうか。

例えばわたくし個人の場合は
まずは夢解きが指針になるのですが、
次に、現在の星の運行を考えます。

勿論、生業なので、自分のホロスコープくらいは
頭に入っていますし、1年先までくらいであれば
星の運行も記憶しています。

あら?どうだったかな?とうっかりしていれば
天文暦を開きます。



天文暦はweb上で見られるものもあるようなので、
皆様ご自身で、自分のホロスコープと
照らし合わせてみるのもよいかもしれません。

けれど、少しややこしいし、
そこまでしなくてもと感じる方には
新月と満月だけでチェックしてみては
いかがでしょうか。


新月と満月の位置をチェックする

月齢カレンダーなどで
月の満ち欠けを生活に取り入れている方も
多くいらっしゃいますが、さらに、
その月の新月・満月がどこでおきているかに
注目してみてください。

ご存じの方も多いでしょうが、
この新月満月の場所は、天文暦などをみなくても
12星座の並びを知っていればすぐに解ります。

例えば4月、先日12日が新月でした。
月の満ち欠けは、
月が地球の周りをまわっているから起きる現象です。
理科の時間を思い出しますが、
新月は太陽と同じ方向に来た時に起きるから
地球からは太陽の光が当たっていない面だけしか
見えないので、月の夜の時間をみている
=真っ暗と言う仕組みでしたね。

ということで、
その日の太陽と同じ場所にあるのが新月です。
ですから、4月12日の新月は4月に太陽がある星座、
牡羊座で新月はおきています。


新月が何度あたりにあるか推測する

更に詳しく考えたいなら、これは非常に大まかですが
星座占いなどに記載してある牡羊座の生まれ月日の期間に
注目してみてください。

年によって違うのですが、だいたい
3月21日頃~4月20日頃辺りになっているかと思います。

太陽は一日に1度進みます。
従って仮に3月21日から一度ずつ進めば
4月12日の太陽は牡羊座21度あたりにいることになります。
つまり、新月は牡羊座21度あたりでおきたということです。

では満月の場合はどうでしょうか。

満月の場合

こちらも理科で習った通り、
満月は地球をはさんで、
月が太陽と逆の方向にいる時におきます。
牡羊座の対局にある星座は天秤座です。

これはホロスコープを思い浮かべれば
1室が牡羊座とするなら、正面は7室天秤座と解ります。

それが浮かばなくても、星座の順番をたどれば、
12星座の中の半分なので
牡羊座から6つ先の星座を考えてみれば出てきます。

1牡牛座⇒2双子座⇒3蟹座⇒4獅子座⇒5乙女座⇒6天秤座 です。

ただ、2021年4月の満月は4月27日におきます。
となると4月20日からは太陽が牡牛座に入りますから
牡牛座から6つ先の星座、
蠍座での満月ということになります。


満月が何度かを推測する


続いて度数の推測ですが、これも先と同じです。
牡牛座は大体4月20日からはじまるので
4月27日であれば大まかに、太陽は牡牛座7度にいます。

満月は太陽から180度、真向いでおきますから
蠍座の7度ということになります。


ではこれをどう活用するかですが、
説明が長くなってしまったので
これは、その2につづきます。

2021年3月12日金曜日

早咲きの桜

今日は雨の福岡ですが 今週初めは良いお天気でした
早咲きの桜を探そうと、友が誘ってくれました。

勿論、マスクをして、少し距離を取りながら
楽しくて大きな声になりそうなのにも注意しながら散歩をしました。
でも、なかなかそうもいかず、きっと大声で笑っていたと思います。
まあ、ずっと青空の下、お外でのことだし、周りにも誰もいなかったので
ご容赦いただけるのではないかと思いますが。

西公園と福岡城跡あたり あちこちに咲いていました 。
季節を感じるのはいいものですね。
この頃、植物に詳しくなり、いろいろ教えてくれる友に感謝です。




この日は霞もすくなく西公園の上からは志賀島方向がきれいに見えました。



そういえば、またしても、このブログは、
前回からかなり間があいてしまっての更新です。

年末年始や今年は2月3日だった立春、そして2月12日の旧正月もすぎ、
1月31日から逆行していた水星も、2月21日には順行に変わり、
ようやく少し動きも落ち着いてきたように感じます、などと
先月書こうと思っていたら、あっという間に、今になってしまいました。

実は、2021年初だった…とハタと気づきました。

明日は新月です。
例えばこれから増やしていきたいことは、新月から満月の増光期に向けて始める、
逆に、病気の治療や減らしたいなくしたい癖などは
満月から新月にかけての減光期にとりかかる、という
月との付き合い方があります。

その意味では、自分を見つめる時間でもあり、
また、皆さんとお話のきっかけになるこの場所を、
「日々のあれこれにかまけて、そのままにしておく習慣を減らしたい」
という想いには、ぎりぎり1日だけ間に合うかもしれません。

毎日、丁寧に生きたいと思う今日この頃です。


2020年12月16日水曜日

はじまります新しい時 土星と木星は水瓶座へ

*12月16日更新時に数字の打ちまちがいがありました
 訂正しております。大変失礼いたしました。(
12月23日)


何と4カ月ぶりの更新となりました。

どうもあれこれしているうちに、後回しになり
ご無沙汰ばかりで失礼いたします。

あれこれの中で日々は過ぎ、
星はあっという間に動いていったな、というのが
今日の正直な思いです。

9月には火星が約2年ぶりの逆行に入り、
その後、山羊座で逆行中だった土星と木星は
共に順行
に転じました。

一時は世の中もGo To トラベルやら行動制限の緩和などもなされました。
しかし11月中旬には火星が順行に転じ、本来の状態が表れてきました。

個人レベルでは、むしろここから
ようやく我に帰ったり、本調子に戻った人もいるかもしれません。


また11月30日の満月は半影月食
続く新月は12月15日の皆既日食(チリやアルゼンチン)と
いつもより強めの力が働きました。

そして明日17日午後には2017年12月以来、約3年、
本宮である山羊座に滞在していた土星が
個性や自由、多様性、改革の星座水瓶座へと移ります。
15日に生まれたばかりの細い月は、
まず木星が山羊座29度で接近します。

その後、夕方近くに
一足先に水瓶座へと移動している土星に近づき、
追い越していきます。

更に、19日22時頃、木星も水瓶座へと移動します。
こちらは2019年12月から1年ぶりの星座の移動です。

そしてこの土星と木星は、水瓶座でコンジャクション(合・天体が接近)
となります。これは今年初めから、これについて星の大きなイベントだと
話題にもなっているのでご存じの方もいらっしゃるかもしれません。

過去のやり方は大きく変わる暗示を示す星の動きです。

ただ始まりはここではありません。
既に2020年1月の段階で
山羊座に入った冥王星に土星が重なり、4月には木星が重なり
「古い常識や習慣は功を奏さず根本改革が始まる」という
流れが始まっていました。

冥王星は12星座を約250年かけて一周します。

土星は約30年、木星は12年の周期です。
この二つが重なるにはたくさんの時間が必要です。
そして更に、そこに木星も滞在するとなると
機会はすくなくなります。

そんな現象の後、この12月に
木星と土星が次の時代へ移ります。

ただ木星と土星が合になること自体は
ほぼ20年毎に起きる現象
です。
(ただし天文学的には今回の12月の接近は距離が近いようで
星空のイベントとしては大きいようです)

ですから例えば年長者なら「20年前?」と振り返れば、
「何かしらの進化や変革があったな」と、
そんなことが繰り返されていることにお気づきになるでしょう。

ただ、この木星と土星の合は、
今まで「地のエレメンツ」
つまり、牡牛座・乙女座・山羊座で起きていたのに、
今回は、「風のエレメンツ」である水瓶座で起きるという点が
注目を集めています。

しかし、風のエレメンツというならば、
1981年には天秤座で起きているので、
注目はそこではないと、わたくしは思っています。

2020年は、滅多に一同に介することがない
「冥王星」「土星」「木星」が土星の本宮である
山羊座に集まりました。

この集いは「安定や旧態が定めた秩序や価値観、システムの崩壊後」を
意味します。そしてそのあとに
「良い意味での個人主義や、組織にとらわれない自由」を示す水瓶座に移る
流れこそ大切なのだと思います。

山羊座は「一つの完成の形」を意味します。
それが覆されます。
「今まではこれで安定した一つの暮らし方だと
思っていたもの」がそうではなくなる働きを持ちます。

ですから、より柔軟に、
「今までそうだったから」という惰性や逃げをやめて、
「個」それぞれが考え、自由があるからこその責任を果たし、
誰も決めてくれないと不安になりそうな人も
勇気をだして、じっくり対峙して超えていきたい時です。
一見、大変そうにも見えるかもしれませんが、
これはみんなに与えられたチャンスです。

そして人と人も、今までとは違う、馴れ合いや同調ではない
自らが選んだ新しいつながり方により、
互いに力になりながらも、それぞれの道を進んでいけるでしょう。

また、特に今まで生きにくい社会だなと思っていた人たちは
のびやかに活動しはじめるでしょう。


ただ、この変化は、今山羊座にいる冥王星が
水瓶座に移る時までの時間をかけて
社会に浸透していくのではないかと思います。

冥王星は2024年2月に水瓶座へ移ります。
冥王星はその後2044年1月まで水瓶座に滞在します。

あと冥王星が移るまであと4年、
完全にその仕事を全うするまで約23年あります。
4年または23年、その長さは人それぞれですね。

あまり先のことまで考えても仕方ありませんし、
空想に時間を費やして、
今日することをおろそかにしても本末転倒です。

ただ明らかに、人も社会も地球も何もかもが
大きく変わりゆく節目にいるということを自覚して
日々送って行けたら、思いもしない楽しみが待っている気がします。

勿論、とりあえず目の前のあと4年だとしても
そんなに待てないし、人生は思うより短いかもしれないと思う人は、
早速何かにとりかかりましょう。

太陽暦の新年まであと半月ですが、
一足先に新境地への第一歩を踏み出してみたいと思います。

新型コロナウィルスの影響でまだまだ不穏な時ですが、
それもしかるべき時ともいえます。
皆様引き続き、お身体おいといください。

2020年12月16日 星が大きく動く前の日に…

2020年8月21日金曜日

ホロスコープが教えてくれる亡くなった人からのメッセージ

ホロスコープは、出生時の星位置を表したものです。
この出生図の星が進行した様子や、
通過している星から、サインを読み取るのが星読みです。

ホロスコープはその人が亡くなっても生き続けます。
例えば亡くなった人がその後、
「生きていたとしたら幸運期」という時期を迎えた時、
その人が生前成した仕事や作品などが
脚光を浴びることがあります。

或は、その時期に、残された家族の問題が
解決るすようなケースには非常によく出会います。
亡き人が今もこの世や残された人たちを護り、
繋がっていてくれているのだなと
実感させてくれる現象です。

他には、この世を去った時の星位置により、
その人がどんな思いで旅立ったか、
また、近しい人に対して
どんな想いを抱いて旅立ったかを
感じられる場合もあります。

今日はその一例をあげたいと思います。


A子さんは病気で亡くなりました。

その日時の星位置と出生時のそれを照らし合わせながらみますと、この世を離れる時の彼女の肉体は、かなり消耗しており、生きる事が重荷といえるような状態であったことを土星が示していました。また病巣そのもの以上に、薬の副作用が激しかったのかもしれないことを海王星と火星が示しているようでした

しかし同時に、これまでの善行に助けられているような安らぎと、大いなる護りが木星によって暗示されていました。この護りと導きは、すでにあちらの世界にいる家族や親族たちによるものだったのかもしれません。

また、水星と火星と海王星の状態を読むことで、彼女は眠るように、夢をみているような中で現実の世界から離れたサインが読み取れ、遺族のお話とも合致していました。

そして残されたご主人のホロスコープと合わせてみる事で、彼女の彼への想いが浮かび上がってきます。

個人的なことが多く含まれるので一部だけのご紹介ですが、A子さんが旅立った時の月は彼の火星に重なり「貴方のありたい生き方をして欲しい」という想いが観て取れました。

また、過去生からの縁や課題を表すドラゴンヘッドとドラゴンテールにもはっきりしたサインがみられました。

彼女が、彼を残してこの世を去らなければいけないのは、過去生からの約束のようでしたが、彼が彼女を看取ることもまた彼の今世の仕事であり、それは彼の魂を更に磨くものだったようです。



また、A子さんが亡くなったのは、月食と日食の間でした。満月新月は、人の生死やメンタルに影響を及ぼしやすいことはよく知られていますが、月食と日食は更にその力が強まるように思えます。この月食の頃から、彼女は急激に弱っていったようです。

そしてこの時の月食は、ご主人の出生図の金星の真上で起きていました。彼の大切な愛情の上に、影って行く妻を表す月が通っていきました。

月食はそれほど頻繁に起こるものではありません。それが360度の中の1点の彼の金星の真上に来る日というのが、どれほどのことかお分かりいただけると思います。


前回と前々回のblogでは、
わたくしの夢についてを語りました。
夢によって、その出来事が誰のせいでもなく、
ただ「大きな営みの中の必然であったかもしれない」と
感じられる経験をすることは、
受け入れがたい現実を目の前にしたときに、
少しだけ助けになると思います。



しかし、夢が訪れてくれるかどうかなど、
夢解きの方は、誰でもすぐに
というわけにはいかないかもしれません。
けれど、同じ作用は、星を読むことでも
得られると思っています。



そう簡単に、心が晴れるわけではないでしょうが、
何か大きな流れやエネルギーがあることや、
「人も、星の運行や満ち欠けと呼応して
自然の一部として生きている」という意識が持てた時、
ほんの少しだけ、何かが抜けるような気がします。

そう慣れた時、大いなるものに心身をゆだねられ、
それまでよりはもう少したくさん、
亡き人と繋がっている実感が得られるように感じています。

開業以来ずっと
「人の生死については観られません」と
お断りしていますが、
いま生きている人への、旅立った人からのメッセージ
感じるお手伝いはこれからも心を込めて
させていただきたいと、改めて思うこの頃です。

2020年7月30日木曜日

麿山真実の夢日記8 四十九日の夢

6月末のひとつ前のblogに、友の死と夢についてを書きました。
心を寄せてくださった皆さんには、心からお礼申し上げます。

あれからまた少し日がたち、彼女の七七日・四十九日が訪れました。
そしてその翌朝に、彼女の夢で目が覚めました。





























夢の内容

私の家のドアから、彼女が出ていく。
扉を開けると向こうからはお日様がきれいにさして、白く輝いている。
彼女は私の方をみて
「じゃあ、またね」と笑って手を挙げた。

場面がかわり、見知らぬ一軒家の中にいる。
どうやらそこは、彼女の家族の家のようである。

お祖母様の家なのかもしれない。
実際のご両親よりも若い親御さんという人や親戚のお姉さん、
近所の友だちや、私が知っている友人もいる。

彼女はずいぶんお転婆で、
そういえば、少し体が小さいような気がする。

途中で一つの映像をみせてもらう。
彼女の小さい頃からの人生を再現した映像で
家族みんなで撮影したそうだ。
リアルで素晴らしい作品だった。

彼女のご家族から午前中にお招きいただいたようだったが、
午後にはこの家の荷物を全部出して
引っ越すことになっているそうだ。

随分、長居をしてしまったようだった。

時間がせまっている。
招かれた他の友人は、贈り物や気の利いた言葉を贈っている。
私は何も持ってきていないし、贈れるものもなく、
何も言えずにじっと見ている。

けれど、ふと、もう遠くにいってしまうのに、
何もできないまま、もう本当に会えなくなるのだと思ったとき、
私はわーんと声をあげて泣いた。
ほんの一瞬、叫んだような短いものだったけれど。

親戚のおねえさんが隣にきて、よりそってくれた。
私は、そのあとは心穏やかに、みんなを見送る気持ちでみていた。

すると、画面がフェードアウトするように
白一色になって目が覚めた。

夢についておもうこと

彼女が逝去してからずっと
夢の中に彼女が出てきているような気がするのですが、
目覚めると、覚えていない状態が続いていました。
覚えていないものの、
無意識の中で彼女と向き合っていたのかもしれません。

時々「なくなった人が夢にも出てくれない、せめて夢で逢いたいのに」
という方がいらっしゃいますが、
個人的には、目覚めた時に、まだとても悲しい想いが強い間は、
目覚めたあとが一層つらくなるので、
なかなか夢には現れてはくれないような気がしています。

その意味で、この夢から覚めた時、
「やっと会えた、彼女との新しいおつきあいが始まる」
と思いました。

また、コロナ禍でずっと面会もできないままでしたから、
夢とはいえ彼女との最後の対面でしたし、
扉越しに「またね」と言ってくれたことで
一区切りを与えてもらった気もします。

そして、場面が変わってからの彼女の家の引越しの展開については
連想が広がったり、思い当たる節があります。

私には、子どもの頃、転校の経験があります。
また、逆に転校していってしまった友もいます。
しばらくは幾度か手紙のやり取りをしたりはしていました。
でも今とは違い、メールもなければ、TV通話もありません。
何となくお互い新しい環境に慣れる中で疎遠になり、
もう今は連絡先もわからず、会う事も難しい友です。
何でもできるおとなになってからの出会いと別れとは、違います。
まして昭和の頃の話です。

でもその頃に会えなくなった友を、いまだに時々思い出したりします。
わたしを作ってくれた人生の一部分であることはまちがいない人たちであり、
今も彼らが健やかに暮らしていてくれることを願っています。

四十九日という一つの節目に、それを連想させる状況が表れ、
「彼女は逝ってしまったけれど、それは、こんな別れと変わらないのだ」
という夢をみて、自分を支えようとしているのかもしれないとも思いました。

或は、彼女は魂の家だった「身体」が病によって住みづらくなったため
新しい場所に移っていったのかもしれません。
実際、彼女は身体は病気になりましたが、
心は病人ではなく、最後まで健康で
凛としていたと感じています。

そして私は「彼女が魂となって挨拶にきてくれた」
彼女はいつも近くにいるから、ちょっと寂しいけど
悲しむことではない、と、納得しようとしているのかもしれません。

また、夢の中の彼女は楽し気です。
彼女の人生の子どものころからの再現映像を見せてもらったりして
彼女は「わたしは人生に悔いがなかったよ」と言ってくれているようで
残った者の気持ちを軽くしてくれたようにも思えます。

既に他界している彼女のお祖母様やご親戚に囲まれて、
「あっちにいってもこんな家族がいるから楽しいものよ」と
旅立つ途中の彼女が怖くはなかったかなというような心配を
払拭してくれたような、そんな気もします。

ただ、いずれにしても、これは私の夢でしかなく、
私の無意識が紡いでくれた物語でしかありません。

でも、物語の中に入りこみ、
感情的に、また、リアルに体感したように感じられたことで、
また少し心の整理ができて、前に進めた気がします。

また、夢に助けられたお話でした。











2020年6月29日月曜日

長いつきあいの友の逝去と4本の夢

本当はタイトルは「麿山真実の夢日記 7」
わたくし個人の夢日記です。

けれどあまりにまだ近い夢であり、
今までのその中に並べる気になりません。
 
私の今までの人生の中で
約7割の時間を共にすごした友が逝きました。
5か月の闘病生活でした。
これは夢ではなく、現実の出来事です。

初めの2か月で、
覚悟をしなくてはいけないという想いと
それを打ち消したい想いを抱えました。

3か月目には本人とも、
彼女が旅立った後についての話をしました。
それでも奇跡を信じたかった頃、
新薬が効き初めました。
数値はぐんぐん良くなっていった4か月目でした。

その翌月「旅立った」とご家族からの連絡が入りました。
つい数日前にも電話をくれた彼女だったのに。

病名が確定してから5か月目のことでした。

急なことでした。
ショックは大きなものでした。

けれどそれでも、この5か月の間にみた4本の夢が
私を支えてくれてもいました。



1本目は、新薬が効き始め、
「退院も可能かもしれない」と
いわれていた頃に見た夢です。

私は彼女と連れ立って出かけ、
ハンバーガ―を二人分テイクアウトしました。
けれど家に戻って二人で開けると二人分どころか
大きさは購入したものの半分程度の
小さな別の食べ物にかわっていました。

詳細は控えさせていただきますが、
彼女の健康上の数値はよくなっているといっても
「連れて帰って来れるほどエネルギーは足りていない
別の部分が消耗している」と感じました。

この時、彼女と「ゆっくりよくなればいいよね」と、
そんな話をしました。

2本目は、結局、退院が延期になった4か月目の夢です。

私は彼女と一緒に、ある街を歩き、靴屋さんにはいります。
私は彼女に「もうすぐ貴女の誕生日だからどれか選んで。
プレゼントするから」と言います。
彼女は普段通りの彼女の笑顔や口調で
「そんなのいいわよ」と言いながらも
選び始めてくれました。
けれど彼女が靴に手を伸ばしかけた所で夢が終わりました。

この時も、私は彼女に、この夢の話をしました。
彼女は、入院生活も長くなり、
また薬の副作用もあり、歩行もままならず、
リハビリも行っていた頃でした。
私は彼女に
「残念ながらまだ貴女にプレゼントできるところまではいたらかなった。
でもあと少ししたら、靴を履いてくれるかもしれないね」と
夢の話をしました。

ただ、この段階で、本当のところは
不安でいっぱいでした。

ちっとも暗いイメージの夢ではなく、
むしろ楽し気な夢だったのですが、
だからこそ、細かい点でのひっかかりがありました。
けれどそんな思いは頭の中では打ち消しました。


3本目の夢は、彼女が旅立つ20日前でした。

夢の舞台は、私が暮らす場所の近くに実際にある橋でした。
この橋は今までにも、重要なポイントで
私の夢によくあらわれる橋でした。

夢では、この橋の向こう側に彼女が立っています。

初夏を思わせる良い天気です。
彼女は私を見て、こちら側に走ってこようとします。
私は「病み上がりなのだから私が行くから無理しないで」と
駆け寄りました。
彼女は和紙でつくったような淡い色の美しい日傘をさしています。

私は彼女の隣に並んでいるのですが

もう一人の自分が、自分と彼女が並んでいる姿を、
正面から眺めている構図でした。
私は「こうしてまた会えて本当によかった」と話し
彼女は「そうね」と笑っていました。

目覚めて「退院をしてまた会えるという正夢である」と
思い込もうとしている私がいました。
そう思い切れないから、むしろ不安が募るから
そう思い込もうとしたのです。

例えば彼女は普段から日傘は差しません。
その日傘で少し顔を隠していました。
私が見ていた構図は
二人が並んでいるのを遠くから見るような
客観的なものでした。

他にも細々とした理由はあるのですが、
個人的な内容が含まれるので
ここに記すことは控えます。

ともかくこの時も、
「口にすることで、正夢になりますように」
という願いを込めて、
彼女に夢で逢えたことを語りました。

夢の意味や、そのほかのサインを拾いながらも
黙って見守ってくれているような
もう一人の自分を感じながらの抵抗でした。

4本目の夢は、亡くなる6日前のことでした。

誰かが家に忍び込もうとしています。
不審な男性が4~5人いるようなので
「どなたですか?」と思い切って出ていき
追い払おうとします。
しかし彼らは目をそらしただけで
誰も何も答えず、少し離れてこちらの様子をうかがっています。
とても気持ち悪く怖さを感じましたが、
何とか追い払います。
彼らは何かを知らせに来たのかもしれません。
盗聴器や怪しい機械をあちこちにセットしていったかもしれません。

場面が変わり、私は寝台車のベッドに

横になっているようでした。
窓の外は夜で、漆黒の闇です。
その列車は何かトラブルがあり、
ずっと走り続け、停まれないでいたらしいと知ります。
所が、急に停止しました。

私は近くにいた人に「とまった?」と尋ねると

そうだと返事が返ってきました。
私は、これ以上動くことはないけれど、
「これでやっと外に出られるのだね」と
言ったところで目が覚めました。

もの悲しい想いがあふれる中、
すぐに起き上がらずにいました。
そして、闘病中の彼女と
寝台車に乗ったことがあるのを思い出しました。

それから数日、彼女は旅立ちました。
やっと病院から外にでて、家族の元に帰れました。


4本目の夢は、
本当にその現実が近づいているけれど、
まだ直視できるかどうかわからないと
夢を見せてくれる力が
判断してくれたのかもしれません。
彼女本人の姿は出てきませんでした。

しかしまだ時間があり、段階を追って
覚悟をしていかなければいけない時、
夢は彼女の姿を直接見せてくれました。

またこれは、面会がかなわない中、
不安でありながらも、
彼女と会えた嬉しい夢でもありました。

夢は本当に不思議です。
そしてまたもや夢に助けられています。
段階を踏んで、覚醒時のわたくしを護りながら
その日を迎えさせてくれました。

まだまだ、
ぽっかり空いた心の穴は当分埋まらないでしょう。
事あるごとに不意に大きな悲しみに襲われるでしょう。

大切な人を失ったことがある人だれもが感じる
あたりまえの喪失感です。

けれど夢が訪れてくれていたことで
悲しくても悔しくても、これが現実であり、
今の想いは必ず超えられる経験であるという
確信がいっそう強まります。

だからあえて元気になろうとか
早く立ち直ろうなどとも思わず、
じっと今を感じて、
自然に過ごしていくことができます。

勿論、何度もいいますが、
時々ふいに泣くでしょうけれど。
でも、泣かなくなるその日までの間、
今、現実の生活の中で出来ることはしていきます。
それは、こんな想いを言葉にすることです。

同じ悲しみを抱える彼女の家族や友人に
互いの想いを聞かせてもらって、聞いてもらって、
また、こうして書くことで、皆さんに読んでもらって
それだけで心が少し軽くなります。

そんなことがない方がよいけれど、
皆様も、どんな種類のものであれ、
もしも抱えきれるだろうかと心配になる思いを感じたなら、
語れる分だけを少しずつでよいから、
表に出していってくださいね。

今回は私はこうして皆さんにお話を聞いてもらって
とても助かりました。ありがとうございす。

それから、勿論、とても悲しいことはありましたが、
この間もかわりなく、いつも通り、
ご相談にのり、お話を聞かせていただいていましたから
これをお読みになっても、
今後もどうぞご心配なくお願いいたします。

彼女は、本当に
お日様のような人でした。
彼女の温かさは今もしっかり感じます。
いままでありがとう。これからもよろしくね。

そして皆さま、
最後にもう一度 読んでくださって
ありがとうございました。

2020年5月26日火曜日

ありがとうという気持ちと言葉

今日、何回「ありがとう」と言ったかな、と
時々、ふりかえります。

「こうすることにしたから」=了解!ではなくて「ありがとう」

「お茶がはいったよ」=今行く!ではなくて「ありがとう」

「こちらレシートです」=無言…じゃなくて「ありがとう」

「できました」=「ご苦労様」ではなくて「ありがとう」

「こちらへどうぞ」=「すみません」ではなくて「ありがとう」


他にはどんな言い換えられるシーンがあるだろう、
そんなことを思います。

でも、どこかから叱られそうですが、
漠然としたスローガンのような「ありがとう」や
禁止の代わりのけん制のための「**してくれてありがとう」は
ちょっと苦手です。
わたくしの個人的な感覚ですが。

けれどたとえ、相手を知らなくても、
相手の顔が浮かんでくるような
心と一緒に捧げる「ありがとう」は
はたで聞いていても心が温かくなります。

ことばもまるく
ありがとうと言われると嬉しいものです。
同じ分だけ、ありがとうと言うと心が晴れやかになる
不思議な言葉だと思います。

でも、ちょっと照れくさかったり
堅苦しく感じてしまう人もいるでしょう。
海外にいくとThank youと言う機会が増える人でも
日本国内ではなかなか出てこない人もいらっしゃいます。

ある知人は「ありがとThank you~」と歌うように言います。
言われた方は、つい笑顔になるような明るい言い方です。

身近な人に向けての言葉ほど
他人行儀なようで、
言いたいけれど抵抗感が…という人は、
相手に伝わればよいのですから、
自分なりのありがとうの言い方を作るというのは
素敵なアイディアだと思います。

ひとまず非常事態宣言が解除されましたね。

問題やストレスが多い時であればなおさら、
音としての「ありがとう」だけがそれではないので、
「ありがとう」の気持ちが相手に伝わる言葉を
たくさんの人が声に出していけたらよいな、と思うこの頃です。