2020年7月30日木曜日

麿山真実の夢日記8 四十九日の夢

6月末のひとつ前のblogに、友の死と夢についてを書きました。
心を寄せてくださった皆さんには、心からお礼申し上げます。

あれからまた少し日がたち、彼女の七七日・四十九日が訪れました。
そしてその翌朝に、彼女の夢で目が覚めました。





























夢の内容

私の家のドアから、彼女が出ていく。
扉を開けると向こうからはお日様がきれいにさして、白く輝いている。
彼女は私の方をみて
「じゃあ、またね」と笑って手を挙げた。

場面がかわり、見知らぬ一軒家の中にいる。
どうやらそこは、彼女の家族の家のようである。

お祖母様の家なのかもしれない。
実際のご両親よりも若い親御さんという人や親戚のお姉さん、
近所の友だちや、私が知っている友人もいる。

彼女はずいぶんお転婆で、
そういえば、少し体が小さいような気がする。

途中で一つの映像をみせてもらう。
彼女の小さい頃からの人生を再現した映像で
家族みんなで撮影したそうだ。
リアルで素晴らしい作品だった。

彼女のご家族から午前中にお招きいただいたようだったが、
午後にはこの家の荷物を全部出して
引っ越すことになっているそうだ。

随分、長居をしてしまったようだった。

時間がせまっている。
招かれた他の友人は、贈り物や気の利いた言葉を贈っている。
私は何も持ってきていないし、贈れるものもなく、
何も言えずにじっと見ている。

けれど、ふと、もう遠くにいってしまうのに、
何もできないまま、もう本当に会えなくなるのだと思ったとき、
私はわーんと声をあげて泣いた。
ほんの一瞬、叫んだような短いものだったけれど。

親戚のおねえさんが隣にきて、よりそってくれた。
私は、そのあとは心穏やかに、みんなを見送る気持ちでみていた。

すると、画面がフェードアウトするように
白一色になって目が覚めた。

夢についておもうこと

彼女が逝去してからずっと
夢の中に彼女が出てきているような気がするのですが、
目覚めると、覚えていない状態が続いていました。
覚えていないものの、
無意識の中で彼女と向き合っていたのかもしれません。

時々「なくなった人が夢にも出てくれない、せめて夢で逢いたいのに」
という方がいらっしゃいますが、
個人的には、目覚めた時に、まだとても悲しい想いが強い間は、
目覚めたあとが一層つらくなるので、
なかなか夢には現れてはくれないような気がしています。

その意味で、この夢から覚めた時、
「やっと会えた、彼女との新しいおつきあいが始まる」
と思いました。

また、コロナ禍でずっと面会もできないままでしたから、
夢とはいえ彼女との最後の対面でしたし、
扉越しに「またね」と言ってくれたことで
一区切りを与えてもらった気もします。

そして、場面が変わってからの彼女の家の引越しの展開については
連想が広がったり、思い当たる節があります。

私には、子どもの頃、転校の経験があります。
また、逆に転校していってしまった友もいます。
しばらくは幾度か手紙のやり取りをしたりはしていました。
でも今とは違い、メールもなければ、TV通話もありません。
何となくお互い新しい環境に慣れる中で疎遠になり、
もう今は連絡先もわからず、会う事も難しい友です。
何でもできるおとなになってからの出会いと別れとは、違います。
まして昭和の頃の話です。

でもその頃に会えなくなった友を、いまだに時々思い出したりします。
わたしを作ってくれた人生の一部分であることはまちがいない人たちであり、
今も彼らが健やかに暮らしていてくれることを願っています。

四十九日という一つの節目に、それを連想させる状況が表れ、
「彼女は逝ってしまったけれど、それは、こんな別れと変わらないのだ」
という夢をみて、自分を支えようとしているのかもしれないとも思いました。

或は、彼女は魂の家だった「身体」が病によって住みづらくなったため
新しい場所に移っていったのかもしれません。
実際、彼女は身体は病気になりましたが、
心は病人ではなく、最後まで健康で
凛としていたと感じています。

そして私は「彼女が魂となって挨拶にきてくれた」
彼女はいつも近くにいるから、ちょっと寂しいけど
悲しむことではない、と、納得しようとしているのかもしれません。

また、夢の中の彼女は楽し気です。
彼女の人生の子どものころからの再現映像を見せてもらったりして
彼女は「わたしは人生に悔いがなかったよ」と言ってくれているようで
残った者の気持ちを軽くしてくれたようにも思えます。

既に他界している彼女のお祖母様やご親戚に囲まれて、
「あっちにいってもこんな家族がいるから楽しいものよ」と
旅立つ途中の彼女が怖くはなかったかなというような心配を
払拭してくれたような、そんな気もします。

ただ、いずれにしても、これは私の夢でしかなく、
私の無意識が紡いでくれた物語でしかありません。

でも、物語の中に入りこみ、
感情的に、また、リアルに体感したように感じられたことで、
また少し心の整理ができて、前に進めた気がします。

また、夢に助けられたお話でした。