2019年4月22日月曜日

人生で初めて書いた年間運気

先日、しまい込んでいたあれこれを整理していました。

その中には、親の遺品もありまして、
そこに、父がとっていた
カードや手紙がありました。

先日もお彼岸の時に、
父のことを書きましたが、
丁度、節目が訪れており、
このようなことが起こる頃だなと、
数々のサインを嬉しく感じています。

その中に、中学1年生の私が、
父の誕生日プレゼントに添えて送った
手紙がありました。

そこには日ごろの感謝とともに、
こんなことが書いてありました。

……
お父さんの今年を、
やっと完全にマスターした
トランプ占いで占ってみました。
結果は下記の通りです。

トランプでは、お父さんのことを
クラブのキング、すなわち、
正直な穏やかな年輩の男性として示しています。
ラッキーな年は今年です。
希望も叶います。

しかし、信用できない相手が出現!
でも、打ち勝てます。

しばらくすると、良いニュースが入ります。

金銭面に、利益があります。
そのうち、よき指導者が現れます。

嫉妬されやすいので注意、また、口論もよくありません。
付け込まれたりすると、大きなミスを犯します。
しかし、それは努力次第で、良い方向へとむけられます。
その結果、ビジネスでは、
大いに自分の能力を発揮できます。
……

原文のままなので、それは何をさしているんだ?!
と意味がわからないところもありますが、
子供のすることなので、こんなものでしょう。

しかし、子供の遊びとはいえ、
肉親にむけたものとはいえ、
自分以外の人の診断文書としては
多分、これが一番古いものになるでしょうから、
よくぞ取っておいてくれた、と思います。

自分の覚書のような日記は残っていますが、
こんなものを残していたなんて…。
しかも「完全にマスターした」などと言っています。
もう大笑いです。
まったく覚えておらず、自分でびっくりです。

これを受け取った父が何か言ったとか、
そんな覚えもありません。
果たしてどう思ったのでしょう。
今となっては知る由もありませんが。

ただ、書いたことは覚えていませんが、
自分がその時々に、どんな占いで遊んでいたかは、
勿論、ちゃんと覚えています。

小学生の頃から中学1年生くらいまではトランプ占い、
中学2年生から高校2年生くらいまでは
そこにジプシーカードやタロットカードも加えていました。

こちらは現在のコレクションのダリデザインのタロットカード

そういえば、
星占いの本を初めに買ってくれたのは父でした。
「今年の**座の運勢」のような
ポケット版というのでしょうか、小さな本でした。

小学校4年生頃だったと思いますが、
年末に、唐突に、家族それぞれ分を
買って帰ってきました。
「なぜ?!」と思ったことを覚えています。

ただ、その本は、
単に「**座」として書いてあるのではなく、
1星座の30度分が3つに分けられていました。

0~10度生まれの人、
11~20度生まれの人、
21~30度生まれの人、
それぞれこうですよ、と
詳しく記されていたのです。

日頃、「**座といってもみんな同じじゃないし」と
子供ながらに思っていた私には、
この3分割でさえ、なるほど!と合点がいって、
くまなく読んだものでした。

と、これを考えても、
こんなことが嫌いではない家だったのでしょうね。
仕事にしたのはさすがに私だけですが。

今では「完全にマスターすることなど、生涯ない」と、
十分わかっているだけ、大人になりました(笑)。

さらには、年間運気は、
あまり出さない方がいいと思う大人にもなりました。

2019年4月1日月曜日

新元号「令和」と大伴旅人と大宰府

新年号が決まりました。中継を見ていました。
由縁が話され始めて、正直、かなり興奮しました。
個人的に、昔から好んでいた
大宰府と大伴旅人が元にあったからです。

私は太宰府に暮らしたことがあります。
そして、同じく移り住んだ身でしたから、
大宰府に赴任した人々が詠んだ
万葉集の歌と気持ちが重なることもありました。

大宰府には、大伴旅人を中心に、
山上憶良、小野老、沙弥満誓、等々が参加し、
筑紫歌壇という華やかなサロンができました。

歴史には諸説あるので、詳しい事は解りませんが、
この旅人邸は、太宰府市の
今の坂本八幡宮あたり、
という説があるそうです。

令和の元になった序文が謡われた「梅花の宴」は
このこの旅人邸で開催されたそうです。

730年正月13日、大宰府の役人他、
九州各地の国司が参加したと
物の本で読んだことがあります。

それが序文として
「天平二年正月十三日に、師(そち)の老の宅にあつまりて、宴会を申く。時に、初春の令月(れいげつ)にして、気淑く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。」とあり、この令月の「令」と風やわらぐの「和」なのだそうですね。


大宰府政庁跡地

遠出が出来ない時、私はよく大宰府政庁跡地から
太宰府天満宮あたりや、
二日市温泉から天拝山あたりを散歩します。

この辺りには、あちこちに万葉集の歌碑があります。

空が高く広く見上げられるこのあたりの自然と、
言葉と旋律の力を感じながら散策するのは
とても気持ちがよいのです。
そして何となく、飛鳥を思い起こさせます。



好きな場所、そして
大宰府の梅花の宴に集った人達に
スポットライトが当たったようで、
嬉しい新年号となりました。

また万葉集そのものに注目が集まり、
奈良はじめ、歌が詠まれた各地と一緒に、
美しい言葉と旋律が広まってくれればと思うと、
なお楽しみです。

ちなみにこの宴で大伴旅人が詠んだ歌は
「わが園に 梅の花散るひさかたの
 天より雪の 流れ来るかも」(5巻822)

梅の宴とは違いますが、この歌も有名ではないでしょうか。
「青丹によし 寧楽(なら)の 京師(みやこ)は 
 咲く花の 薫(にお)ふがごとく いま盛りなり」
(3巻328)

これは奈良の歌だと思われている事が多いようですが、
小野老が大宰府着任を祝う宴で詠まれたそうです。

ちなみにこの歌碑は大宰府政庁跡地の向かって右側の方にあります。

また、歌碑といえば、二日市温泉に立つ、旅人の歌が印象的です。
二日市温泉から天拝山のお話は、また次回にします。

2019年3月24日日曜日

麿山真実の夢日記6~お彼岸の亡父の夢

今日でお彼岸が開けます。
日頃はそれほど意識していなくても
仏教がベースになっている生活をしている方は
お彼岸にお墓を参る方も多いでしょう。

春分の日も、秋分の日も、
太陽が真東から昇り、真西に沈みます。
この為、西にある彼岸と東にある此岸が
もっとも通じやすい日になると考えられたので
彼岸にいる先祖の供養をするようになったとか。

個人的には春分、夏至、秋分、冬至と
それぞれに自然の力や変化を感じ、
それぞれに様々なことを感じます。

けれど、不思議なもので、
お彼岸はお墓参り、というような
生活習慣や環境が身近だからでしょう、
春分・秋分には、亡き人達の夢をよく見ます。
夏至・冬至には見た記憶がありません。

西と東の最短の道ができるから、
此岸である、こちらから
彼岸に向ってご挨拶に伺うのが
お彼岸でしょうが、
私の場合は、夢の中に来てもらって、
お盆が年に3回あるような気分です。


そして今年も、お彼岸の入りの夜、
亡父が遊びに来てくれました。
テーブルを囲み、世間話をし、
コーヒーを飲んだ後、
どこかへ出かけていきました。

他界して20年以上たつので
夢から覚めても、もう悲しい気持ちは起きません。
けれど他界後、すぐのお彼岸に
父が夢に現れた時は、胸がうずきました。

その夢の中で、
私は自分が卒業した小学校の教室にいました。
座って瞼をとじています。
しかし、目の前に父がやってくるのが見えています。

父は私の傍に赤いチューリップを一本そっと置いて、
少し笑って、そのまま立ち去ろうとしていました。
私はそのまま寝たふりをして送った方が
父の気が楽であろうと思い
声を掛けたいのを我慢して、
じっとそのままでいました。

立ち去ったのを確認してから
チューリップを胸に抱えました。
親族が教室に入ってきて、
今、父が来なかったか?と尋ねました。
私は「西門へ向かった」と指をさしました。

目が覚めると、私は眠っている間に少し泣いたようでした。
けれどその日が秋の彼岸の中日であることに気づき、
嬉しい気持ちにもなりました。
父はちゃんと西方極楽浄土にいるよと
知らせにきてくれたように思えたからです。
きっとこれから満ち足りた時を過ごせるのだろうと
勝手に安心したものです。

夢の中で、父がそっと立ち去ろうとしたのも、
私が眠ったふりをして見送ったのも、
夢の中で折角会えたのに、
また別れを痛感することは、
「まだ辛い」と解っていたからだと思います。

夢の舞台が、なぜ卒業した小学校だったかというと、
ここには南門、北門、西門、東門と4つの門があり、
子供の私は、これで東西南北を覚え、
そしてまた、子供時代の楽しい思い出が
沢山ある土地であるからだと思います。

夢は自分が生み出すものです。
外からのサインを受け取るにしても
自分が受け入れられるかどうか、
許容範囲か否かまでチェックしてから
スクリーンい映し出されるような
思い遣り深い機能が働いていると思います。

時々、会いたいのに、
亡くなった人が夢にも出てきてくれない、
と仰る方がいらっしゃいますが、
目が覚めた時に、まだとても悲しく辛いから
遠慮してくれているのかもしれません。

勿論、「夢に出てきてくれる」といっても
夢は自分が生み出しているのですから
何が本当かは解りません。
亡き人が尋ねて来てなどおらず、
自分がイメージで創り出した
物語でしかないのかもしれません。

けれど、真偽はともかく、
夢を見た事で、
ほっとしたり、嬉しかったり、
自分を守り支えてくれる働きがあることは
私の中では確かでした。

春秋関わらず、お彼岸になる度に想い出す、
夢のお話でした。

2019年3月17日日曜日

おばあちゃんと孫のお話

先日、金刀比羅宮を参り、登れる足腰であることに感謝し、
これが当たり前ではないことを忘れてはいけないと
改めて思うということを書きました。

旅人から旅人へと連れられ世話をされてお参りした こんぴら狗

今日はそれから数日後のお話。

商店街を歩いている時のことでした。
そこはレンガ敷きというのでしょうか、
石畳のような地面になっていました。

2~3歳位の男の子と、
幼稚園くらいの女の子の間で
2人の手を引く女性を見かけました。

女性はお若く見受けられましたが、
会話からおばあちゃんとお孫さんであることが
解りました。

次の瞬間、
そもそもおぼつかない足取りだった男の子が、
顔から地面に突っ込みそうになりました。

おばあちゃんは、
「あっ!」と大きな声を発し、
男の子と繋いだ手を、
ぐっと引き上げました。
おかげで男の子は転ばずにすみました。

素晴らしい反射神経だったのですが、
さすがにおばあちゃんの「あっ!」という叫びには
鋭いものがありました。
その次に「もう…」と言う言葉が出てきました。

一瞬「もう、ちゃんと歩きなさい!」と続くかな、
というような勢いでした。

けれど女性の口から出たのは
「もう、びっくりしたねえ」でした。

そして「ここ、地面が凸凹しているからね、
ばあばもこの前転びそうになったのよ。
気をつけて歩こうね」と、優しい笑顔を向けました。

男の子は「ばあばも?」と顔を見上げました。
女性は「そう、ばあばも…。気をつけなくちゃね」と
顔を見合わせて笑っていました。

教えていただいたと、
つくづく感じました。

例えば、小さな子供の手を引いた若いお母さんが、
自分の早いペースで歩き、
子供は引きづられそうになったり、
必死に早足でついていく様子をよく見かけます。

冒頭に申し上げたように、
「石段を上がれることが当たり前ではないこと」を
忘れずにいると、
この点も少しは緩和されるかもしれません。

子供は「そのペースが当たり前ではない」ですし
年長者も同じでしょう。
その点、ある意味、同じくらいのペースで歩ける
おばあちゃんと孫は理解し合いやすいことでしょう。

そして年長者には、子供を待ってあげられるような、
日々の暮らしの中のゆとりがあります。
これも、じっくり成長していきたい子供には
ありがたいことでしょう。

ただ、この待てるゆとりは、
人生経験や生活スタイル次第なので
追われるように生活している時代には
そう簡単にはいかないでしょう。

でも「心掛けよう」と、
胸に抱いているだけでも
違ってくるように思うのです。

見習って、実践できる所は
大いに真似をしていきたいものです。

例えば、子供が転びそうになった時、
「あっ!もう…」の後に
「ちゃんと歩きなさい!」と言ってしまう
若いお母さんも、
本当はその言葉の前には
「びっくりした」があるのではないでしょうか。

或は「この子にケガさせたらと思うと怖かった」
があるのかもしれませんし、
又は子供とは全く関係なく
「なんで私一人こんなに大変なの!」かもしれません。

しかしつい、
それらを全部ごちゃまぜにしたまま、
ただ不快なものとして
表してしまいがちです。

けれど、それぞれの気持ちの段階を追って、
言葉にすれば、自分への罪悪感や違和感、
不快感も増幅されませんし、
何より子供にも愛情が伝わるでしょう。

子供を心配してつい怒りたくなったなら、
心配を伝えればよいですし、
私一人だけ!と言う想いなら、
話し合う相手は子供ではなく
配偶者や周囲の大人です。

アンガーコントロールと言う言葉も
一般的になってきた昨今ですが、
「カッ!」となった
「その前にどんな思いがあったか」
その地点で立ち止まれるようなリズムで
暮らしていきたいと思うこの頃です。

2019年2月27日水曜日

金刀比羅宮まいり

少し前に、四国の金刀比羅宮を詣でました。
近くは幾度も通っているのですが、
時間の都合がつかず、初めての参拝です。

あいにく曇り空でしたが、
参道から御本宮まで785段あるだけに、
讃岐平野が見渡せました。


その後、そのまま奥社へ向かいました。
583段の石段、上り坂で約1㎞程度ですが、
人も少なくなり、豊かな木々が
参道を包んでくれているので、一層、
清々しい空気になります。

途中には四国に流された崇徳天皇を祀った白峰神社と、
讃岐守を務めたこともある菅原道真公を祀った
菅原神社があります。

祟りを恐れて祀られ始めたお二方が、
お近くに並んでいらっしゃるとは、
勉強不足で存じ上げませんでした。
けれどお二方ともこれまでの時々でご縁があり、
そろってお参りできるなんて!と嬉しいことでした。

そこからしばらく上ると、
奥社=正式名称は厳魂神社(いづたまじんじゃ)に
到着です。

本殿に向って左手に断崖がせまり、
そこには天狗とカラス天狗の御顔が彫られています。




私の屋号「カルラ」=迦楼羅天=カラス天狗と
イメージされることも多いので、
天狗の山にはつい惹きつけられます。

これについはまた次回に譲るとして、
ともあれ、良い運動でした。

そしていつものことですが、
あらためて登れる足腰であることに
感謝の気持ちが湧いてきます。
更に、これが当たり前ではないことを
毎度思い直します。

2019年2月3日日曜日

節分の思い出 室戸岬

Twitterでも言ってますが、
ほぼ毎年、節分は東長寺の
「星まつり節分祭」に伺います。

11時頃から本堂の
不動明王前の護摩壇に
お願いした護摩木が投じられ、
立ち昇る炎と共にご祈祷が行われます。

多分、ここ10年程は、
ほぼ伺っていると思いますが、
2015年だけは四国ですごしていました。

そしてこの時は、今まの中では、
かなり印象深い節分となりました。

この歳の節分は、
四国八十八カ所お遍路の途中で
迎えることになりました。

更にその日は、その道中でも、
最も訪れたかった
室戸岬で迎えた朝でした。

太平洋から登る朝日は
残念ながらダルマ朝日には
なりませんでしたが、
充分心揺さぶられる美しさでした。


室戸岬 御厨人窟前からの朝日

そして「御厨人窟(みくろど)」からは
青い空と海も見えました。
ずっとそこに座っていたい
心地よい場所でした。
素敵な出会いもありました。

そのうちの一人の方から、
この形のため地元では
「ぴかちゅう」と
親しまれてもいると伺いました。

神聖な場所ですが、人々が大切にし、
畏敬の念を抱きながらも、
そんな風に親しまれる関わり方を喜んでくれている、
慈愛に満ちた大きな場に思えました。

御厨人窟内から 
以前にも写真は
あげたことがありましたが、
このように中は以外と
奥に長く広くなっています。
(落石などのため、入れなくなったとも聞いていますが、現在はどうなっているのかはっきりとは存じ上げません。)

この日はその後、御厨人窟横から
24番札所最御崎寺(ほつみさきじ)へと
急坂を登りました。

恐らく、これからも節分の度に
あの瞬間を思い出すのだろうと思います。

節が変わる日に限らなくいのですが
いづまいを正せる日があるというのは、
気持ちがよいと毎年感じます。



2019年1月4日金曜日

魔除け

今年初めは、
年明けに古い友人からの
このお土産のことから。


写真では見えにくいのですが、
丸まった猫の小田原工芸鋳物の鈴です。

上部分に猫、下半分にはひらがなで
「まよけ」の文字があります。
合銅金なので良く響きます。

あくまでも工芸品です。
でも、みてかわいく、
音が心地よく、
つい微笑み、
穏やかな気持ちをもたらします。
これこそが魔除けだとつくづく思います。

呼応する魔が自分の内にないなら、
魔の取り付く島はありません。

年始にいただく
お札やお守りなども、
頂いたからもう大丈夫、
というような安心感や
心のゆとりをもたらします
或は、大いなるものと一緒なのだから
ちゃんと生きようと思うかもしれません。
そして、そんな人には
他の人への優しさも
自然と湧いてくるのだと思います。

これは、魔を避ける以前に、
良いものを集めてくれるでしょう。
良いものに包まれているから、
魔はつけ入る隙がないので
結果、護られています。
いつの間にか結界が張られている、
そんな風に思うのです。

まよけ猫鈴、玄関においています。
興味があればお越しの際には、
お気軽に鳴らしてみてください。

それからTwitterの写真は
気生根 貴船神社への階段です。
本年もどうぞ
よろしくお願いいたします。