2019年7月30日火曜日

黄泉比良坂からの花窟神社(はなのいわや)


先日の、黄泉比良坂と揖屋神社のお話の流れから
花窟神社について
お尋ねを頂いたので
少し前の情報になりますが
詣でた時の様子を掲載します。

世界遺産ですからご存じの方も多いことでしょうが、
こちらへのアクセスは、
やや不便を感じるかもしれません。
ちなみに私の場合、どこへいくにも
公共交通機関を使って現地へ入る、
をモットーにしていますので、
車で行かれる方はもっと効率が良いと思います。


場所は三重県の熊野市
最寄りの駅はJR熊野市駅です。

そこからバスがあるのですが、
名古屋方面から、つまり
紀伊半島東側から入る場合はよいのですが、
大阪方面、紀伊半島の西側から入る場合は、
まずは、この熊野市駅まで行くJRの本数が少ないのです。

熊野市駅にアクセスが容易な場合は、
そこから三重交通のバスで5分ほどで到着します。
ただ、バスの本数にも注意は必要です。

私の場合は、博多から入りましたので、
まずは朝6:33に博多を出て新大阪まで、
その後 特急くろしおに乗り換え、新宮駅まで。
新宮駅着は13:52という長旅ですが
途中にも奇岩などの名所もあり、
太平洋の車窓は見ていて飽きません。

新宮駅からも三重交通のバスが出ています。

新宮駅前からは14:30発、
約45分で花の窟バス停に到着です。
(2018年7月のことですから、
バスの時間は変わっているかもしれません。
時刻表はネットでも簡単に出てきます。)

黄泉の比良坂で離婚が成立した
イザナギイザナミご夫婦ですが
その後、イザナミノミコトは黄泉の国の主宰神となり
葬られたのが、こちら花窟神社です
墓所ということになります。


海沿いのバス停からすぐ杜がみえています。



参道と手水舎の先に社務所と案内のコーナー


その先のこちらをくぐります


巨巌がイザナミノミコトの御神体であり、
玉砂利を敷きつめたこちらが祭場
神殿などはありません。

近くまで行くと一層の迫力

土足厳禁とありましたので靴を脱いで上がらせていただきました

熊野三山同様、自然そのものがご神体なので
存在と場そのものが違うように感じます。

紀伊半島には聖地がたくさんあります。

熊野本宮の大斎原の川、
速玉大社の神倉神社のごとびき岩、
那智大社の飛瀧神社の那智御瀧、
そしてここ花窟神社、いずれも
ずっとそこにたたずんでいたい場所でした。


自然の成り立ちそのものが
豪快でパワフルなので
それを感じ、畏敬の念を抱いた昔の人が
そこを聖地と呼んだのではないかなと、
つくづく感じます。

お綱掛け神事の海岸 バス停はこの海沿いの道にあります

帰りのバスも16:07、16:37と30分に2本ありましたから
私の中ではアクセスは良いといえる方です。

ちなみに新宮駅はそれ熊野速玉大社の最寄り駅です。

2019年7月18日木曜日

八重垣神社と神魂(かもす)神社

新大阪から朝一の新幹線で岡山に入り
特急やくもに乗り、
午前中に黄泉比良坂と揖屋神社を参った日の続きです。

揖屋駅からJRで移動、12時過ぎには松江駅に到着
バスで八重垣神社に向かいます。

神魂神社がある「かんべの里」まで行くバスに乗り
八重垣神社まで歩いて戻ることも考えましたが、
かんべの里行きバスが来るまでは40分以上ありました。
更にもう到着していてよいはずの
八重垣神社を通るバスも遅れているようで
まだ到着していません。

雨が心配な午後でしたので
先に来たバスで八重垣神社まで行くことにしました。


拝殿
拝殿では丁度御祈祷の最中、
笛と太鼓の音、そして
巫女さんの神楽舞が見事でした。
さすが出雲、と笑顔がとまりません。

そして社務所の巫女さんも
まあ皆さん愛らしく美しく、
さらに親切な笑顔の対応。

それはそうかもしれません。
愛の神様の場所ですからね。
想いやりをいただきました。

八雲立つ 出雲八重垣 妻込めに 八重垣造る その八重垣を

奥の院 鏡の池 入口あたり

~素盞嗚尊は、斐の川上から七里離れた佐草の郷"佐久佐女の森(奥の院)"に、大杉を中心に『八重垣』を造り、稲田姫を御隠しになりました~の森です。

この時は私ひとりだけでしたが、縁結び占いの「鏡の池」は昨今有名ですね。
丁度本殿に戻った時には社務所で占いの紙をお求めの方がいらっしゃいましたが。

しかし、池に占い用紙を浮かべて十円か百円を乗せ、
早く沈めば縁が早く、とのことですが、
この早いは15分目安だそうです。
遅いとは30分目安、いずれにしても、
現代ではその場に、じっといるとしたら
結構な時間なのかもしれないと思いました。

このたくましい素盞嗚尊に守られた
安心感ある森の中で、
緑に輝く不思議な色の池を、じっと15分みつめた、
或は30分みつめた、としたら、
沈む沈まないにかかわらず、心が洗われるでしょうから、
当然、人を想う気持ちが強まり、良い縁も近づくでしょう、と思ったりしました。

さて、八重垣神社を出ると、
正面には「はにわロード」と名付けられた
神魂神社まで続く道があります。
地面の色を変えて道案内にしてあります。

1.4キロなので25分くらいでつくかなと、スタート


所々に埴輪のオブジェが点在

こんもりした木々のトンネルは曇りでも気持ち良く 鳥の声であふれていました

 そしてしばらくすると鳥居が現れました。

田畑と民家の間をぬけた先に

これは素敵だ!と ついきょろきょろしながら石段を登ります

熊野古道を思い出すような石段を進むと、右手に男坂?石段があります。そのまま進むと緩やかな坂道があり、そちらからも登れるようでした。

手水舎はこの石段の始まりにあります

国宝のご本殿

社務所にはお上品な白髪の女性と
おそらくお嬢様かと思われる
きりりとした若い女性お二人が、
ちょうどおこしになりました。
お若い方が白衣に袴姿でいらっしゃいました。

神魂神社も主祭神はイザナミ大神、
先ほどの揖屋神社と同じです。
でもこちらには、イザナギ大神も合祀されています。
ご夫婦で、となると、淡路島の
おのころじま神社くらいしか思いつきません。

初の離婚の地?と言われる黄泉比良坂から
初の結婚の地八重垣神社を経由して来た私としては
またここで仲良くなさっていらっしゃるかしら
だったらいいなと、手を合わせたのでした。

松江駅から神魂神社へのバスの本数はとても少ないので
事前に調べておきましょう。
案内や本には徒歩20分と書いてあるものが多いですが
もう少し余裕をもった想定が良いかとも思います。
私の場合は、また歩いて八重垣神社まで戻りました。

2019年7月13日土曜日

黄泉比良坂と揖屋神社 その2

さて、黄泉比良坂を後にして、来た道を戻り、
駅側には左折せず、小さな川沿いを進むと
左手に素敵な杜が見えてきました。

揖屋神社です。






本殿
宮司さん(だと思うのですが)が、
ここはイザナミノミコトの神社ですから、
女性には心強い守り神ですよ、とお話しくださいました。

本殿左側から裏をぐるりを回ってください。
出雲大社と同じ大社造りですが、
神様は向かって左手に向いて座っているので
そちら側からお参りしてくださいね、とも。

そして、この後、どちらへ?と聞いてくださり、
まだなら黄泉比良坂をお勧めくださるおつもりだったのかもしれません。
ここに来る前に参りました、とお話したら、
そうでしたか、と笑っておられました。

多分、意宇六社についても
お話してくれるつもりだったのでしょう。
私が、この後は八重垣神社と神魂神社へ向かいますと
先に言ってしまったので、
それはいいですね、とだけ仰いました。
包み込むような笑顔が印象的な方でした。

余談ですが、意宇六社の一つ、
出雲の熊野神社にも参りたかったのですが
コミュニティバスが運休の曜日だったので
今回は断念した次第です。
荒神社・大蛇神



荒神社・向かって左手

丁度これより一年前に、
紀伊半島の伊弉冊尊の御葬所、
花窟神社を訪れましたが、
その時と似た、温かみと大きさを感じる
素敵な場所でした。

この後は、駅まで戻り、
JRで松江まで。
八重垣神社と神魂神社へと続きます。

2019年7月10日水曜日

黄泉比良坂と揖屋神社 その1

先日、和歌山により、大阪に宿泊した翌日、
今までなかなか立ち寄ることができなかった
松江市東出雲の黄泉比良坂と揖屋神社に詣でました。

なぜこのタイミングかと言えば、
博多から新幹線で岡山に入るより、
新大阪からであれば45分程度、早くつくことと、
黄泉の国があるという紀伊半島から
直接、黄泉比良坂に出向きたかったというのもあります。

始発の新幹線で新大阪から岡山まで、
岡山からは伯備線の特急やくもで、まずは安来まで。

そこからローカルに乗り換えて
揖屋駅で下車です。

安来では少し時間がありましたので
駅の待合室へ。

どうしても笑顔になってしまう安来節 踊りは足腰ハードですけれど

安来駅から揖屋駅までは一駅。
雨が心配な日でしたので
まずは駅から遠い黄泉比良坂へと向かいました。

改札を抜け、しばらく線路沿いを歩きます。

歩道橋もありますが、そちらではなく、
線路沿いの公園をすぎ、小さな川が流れる
行き止まりまで進み、
右手にある線路の下をくぐるトンネルを抜けます。
線路をくぐった後、橋があるので小さな川を渡り、
東泉寺サイドから、さらに直進します。

多分、この道が一番近く、
また車が多い国道を通らない分
静かにゆっくり歩けるように思います。

すると国道9号線にでます。
揖屋小学校があり、
すぐ横に歩道橋があるので向こう側へ渡ります。
ここまで10分程度かと思います。

そして案内版に従っ左手へ200mほど歩くと
Y字のように右に道がのびているので
そちらへ進み、大通りから離れます。

田畑や民家が点在している中を進み、
しばらくいくとこんな道があらわれ、
先に何やら看板が見えてきます。



アジサイがきれいな季節で、鳥も鳴いていました

到着 駅から徒歩20分弱かと思います

白い看板には


とありました。

右手から入るとこの石柱


しっとり落ち着いた
あったかい感じがします。

黄泉の国の入り口、
いざなぎといざなみが決別した所ですが、
同時に、大国主神が須勢理姫を連れて戻った愛の場所だからか、
または、難題を出したのに、最後はあったかく見送る
スサノオがその向こうにいるような気がするからか。
子どものころ、この神話が好きでした。

正面には千引きの岩、あの世とこの世の境目といわれているそうです。

しかしそれよりも、気になったのは
左にある小さな屋根はポストでした。

「亡くなった方に手紙を書いて送りませんか」とありました。
「黄泉の国への手紙」とのことで、
横には便箋とペンが置かれていました。



戻って知ったことですが、毎年6月にはポストの前で、
故人に届くよう願いを込め、
手紙を火にくべるたき上げが行われているそうです。

最近始まったことのようですが、
このポストの想いは悲しくもあり、
故人をしのぶ愛でもあり
それに暖かさを感じたのかもしれません。

ここで思い出したのは、以前訪れた恐山でした。
あそこも、残された者の悲しみがあり、寂しそうなのですが、
でも同時に、あたたかさと
包み込まれる感じがある地でした。
旅立った人たちの、
残された者の幸せを願う温かさかだと思ったものでした。

中から外を見る、つまり逃げてきた進行方向?逃げた方向?どっちかな…

そしてもう一つ、脇にこんもりした森に続く道があります。


それが伊賦夜坂というそうです

伊賦夜坂への入り口
なかなかワクワクする道です 

曇りなので暗く映っていますが、鳥のさえずりが心地よい道でした

すぐのところに先ほどの案内板にも説明があった「塞の神」
(道祖伸)とも書いてあります

イザナギの神が「ここから入ってきてはならぬ!」と投げた杖から出た神とかいてありました。ここを通る人は小石を置いていくとのこと。小石も積もれば岩となるから?などとひとり、つい呟きながら通過しました。

道はまだ続きますが、もう近くに生活音がしてきます。

下るとすぐに住宅街にでます
計っていなかったのでわかりませんが、
多分5分もかからず抜けたような気がします。

また、私は正面?から入りましたが、
逆に、この山道の抜けた側、
住宅地側からアプローチする方法もあります。

その場合は、国道9号線に出た時点で、
歩道橋ではなく右手の「揖屋小前」信号を渡り
住宅地へ進むと、左手に小さな案内版があり、
この山道を抜ければ、伊賦夜坂に入り、
黄泉比良坂に至るということになります。

本来はこの山道を抜けて石柱の所へ出たかったのですが、
初めてなので、念のため、大きな道案内に従ってみました。

さて、伊賦夜坂から住宅地に出たら
左手へ進みます。
すると先ほどの国道9号線が見えてきます。

往路と同じように川沿いを進み、
今度は駅に戻らずそのまま直進、
揖屋神社へむかいます。

2019年4月22日月曜日

人生で初めて書いた年間運気

先日、しまい込んでいたあれこれを整理していました。

その中には、親の遺品もありまして、
そこに、父がとっていた
カードや手紙がありました。

先日もお彼岸の時に、
父のことを書きましたが、
丁度、節目が訪れており、
このようなことが起こる頃だなと、
数々のサインを嬉しく感じています。

その中に、中学1年生の私が、
父の誕生日プレゼントに添えて送った
手紙がありました。

そこには日ごろの感謝とともに、
こんなことが書いてありました。

……
お父さんの今年を、
やっと完全にマスターした
トランプ占いで占ってみました。
結果は下記の通りです。

トランプでは、お父さんのことを
クラブのキング、すなわち、
正直な穏やかな年輩の男性として示しています。
ラッキーな年は今年です。
希望も叶います。

しかし、信用できない相手が出現!
でも、打ち勝てます。

しばらくすると、良いニュースが入ります。

金銭面に、利益があります。
そのうち、よき指導者が現れます。

嫉妬されやすいので注意、また、口論もよくありません。
付け込まれたりすると、大きなミスを犯します。
しかし、それは努力次第で、良い方向へとむけられます。
その結果、ビジネスでは、
大いに自分の能力を発揮できます。
……

原文のままなので、それは何をさしているんだ?!
と意味がわからないところもありますが、
子供のすることなので、こんなものでしょう。

しかし、子供の遊びとはいえ、
肉親にむけたものとはいえ、
自分以外の人の診断文書としては
多分、これが一番古いものになるでしょうから、
よくぞ取っておいてくれた、と思います。

自分の覚書のような日記は残っていますが、
こんなものを残していたなんて…。
しかも「完全にマスターした」などと言っています。
もう大笑いです。
まったく覚えておらず、自分でびっくりです。

これを受け取った父が何か言ったとか、
そんな覚えもありません。
果たしてどう思ったのでしょう。
今となっては知る由もありませんが。

ただ、書いたことは覚えていませんが、
自分がその時々に、どんな占いで遊んでいたかは、
勿論、ちゃんと覚えています。

小学生の頃から中学1年生くらいまではトランプ占い、
中学2年生から高校2年生くらいまでは
そこにジプシーカードやタロットカードも加えていました。

こちらは現在のコレクションのダリデザインのタロットカード

そういえば、
星占いの本を初めに買ってくれたのは父でした。
「今年の**座の運勢」のような
ポケット版というのでしょうか、小さな本でした。

小学校4年生頃だったと思いますが、
年末に、唐突に、家族それぞれ分を
買って帰ってきました。
「なぜ?!」と思ったことを覚えています。

ただ、その本は、
単に「**座」として書いてあるのではなく、
1星座の30度分が3つに分けられていました。

0~10度生まれの人、
11~20度生まれの人、
21~30度生まれの人、
それぞれこうですよ、と
詳しく記されていたのです。

日頃、「**座といってもみんな同じじゃないし」と
子供ながらに思っていた私には、
この3分割でさえ、なるほど!と合点がいって、
くまなく読んだものでした。

と、これを考えても、
こんなことが嫌いではない家だったのでしょうね。
仕事にしたのはさすがに私だけですが。

今では「完全にマスターすることなど、生涯ない」と、
十分わかっているだけ、大人になりました(笑)。

さらには、年間運気は、
あまり出さない方がいいと思う大人にもなりました。

2019年4月1日月曜日

新元号「令和」と大伴旅人と大宰府

新年号が決まりました。中継を見ていました。
由縁が話され始めて、正直、かなり興奮しました。
個人的に、昔から好んでいた
大宰府と大伴旅人が元にあったからです。

私は太宰府に暮らしたことがあります。
そして、同じく移り住んだ身でしたから、
大宰府に赴任した人々が詠んだ
万葉集の歌と気持ちが重なることもありました。

大宰府には、大伴旅人を中心に、
山上憶良、小野老、沙弥満誓、等々が参加し、
筑紫歌壇という華やかなサロンができました。

歴史には諸説あるので、詳しい事は解りませんが、
この旅人邸は、太宰府市の
今の坂本八幡宮あたり、
という説があるそうです。

令和の元になった序文が謡われた「梅花の宴」は
このこの旅人邸で開催されたそうです。

730年正月13日、大宰府の役人他、
九州各地の国司が参加したと
物の本で読んだことがあります。

それが序文として
「天平二年正月十三日に、師(そち)の老の宅にあつまりて、宴会を申く。時に、初春の令月(れいげつ)にして、気淑く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。」とあり、この令月の「令」と風やわらぐの「和」なのだそうですね。


大宰府政庁跡地

遠出が出来ない時、私はよく大宰府政庁跡地から
太宰府天満宮あたりや、
二日市温泉から天拝山あたりを散歩します。

この辺りには、あちこちに万葉集の歌碑があります。

空が高く広く見上げられるこのあたりの自然と、
言葉と旋律の力を感じながら散策するのは
とても気持ちがよいのです。
そして何となく、飛鳥を思い起こさせます。



好きな場所、そして
大宰府の梅花の宴に集った人達に
スポットライトが当たったようで、
嬉しい新年号となりました。

また万葉集そのものに注目が集まり、
奈良はじめ、歌が詠まれた各地と一緒に、
美しい言葉と旋律が広まってくれればと思うと、
なお楽しみです。

ちなみにこの宴で大伴旅人が詠んだ歌は
「わが園に 梅の花散るひさかたの
 天より雪の 流れ来るかも」(5巻822)

梅の宴とは違いますが、この歌も有名ではないでしょうか。
「青丹によし 寧楽(なら)の 京師(みやこ)は 
 咲く花の 薫(にお)ふがごとく いま盛りなり」
(3巻328)

これは奈良の歌だと思われている事が多いようですが、
小野老が大宰府着任を祝う宴で詠まれたそうです。

ちなみにこの歌碑は大宰府政庁跡地の向かって右側の方にあります。

また、歌碑といえば、二日市温泉に立つ、旅人の歌が印象的です。
二日市温泉から天拝山のお話は、また次回にします。

2019年3月24日日曜日

麿山真実の夢日記6~お彼岸の亡父の夢

今日でお彼岸が開けます。
日頃はそれほど意識していなくても
仏教がベースになっている生活をしている方は
お彼岸にお墓を参る方も多いでしょう。

春分の日も、秋分の日も、
太陽が真東から昇り、真西に沈みます。
この為、西にある彼岸と東にある此岸が
もっとも通じやすい日になると考えられたので
彼岸にいる先祖の供養をするようになったとか。

個人的には春分、夏至、秋分、冬至と
それぞれに自然の力や変化を感じ、
それぞれに様々なことを感じます。

けれど、不思議なもので、
お彼岸はお墓参り、というような
生活習慣や環境が身近だからでしょう、
春分・秋分には、亡き人達の夢をよく見ます。
夏至・冬至には見た記憶がありません。

西と東の最短の道ができるから、
此岸である、こちらから
彼岸に向ってご挨拶に伺うのが
お彼岸でしょうが、
私の場合は、夢の中に来てもらって、
お盆が年に3回あるような気分です。


そして今年も、お彼岸の入りの夜、
亡父が遊びに来てくれました。
テーブルを囲み、世間話をし、
コーヒーを飲んだ後、
どこかへ出かけていきました。

他界して20年以上たつので
夢から覚めても、もう悲しい気持ちは起きません。
けれど他界後、すぐのお彼岸に
父が夢に現れた時は、胸がうずきました。

その夢の中で、
私は自分が卒業した小学校の教室にいました。
座って瞼をとじています。
しかし、目の前に父がやってくるのが見えています。

父は私の傍に赤いチューリップを一本そっと置いて、
少し笑って、そのまま立ち去ろうとしていました。
私はそのまま寝たふりをして送った方が
父の気が楽であろうと思い
声を掛けたいのを我慢して、
じっとそのままでいました。

立ち去ったのを確認してから
チューリップを胸に抱えました。
親族が教室に入ってきて、
今、父が来なかったか?と尋ねました。
私は「西門へ向かった」と指をさしました。

目が覚めると、私は眠っている間に少し泣いたようでした。
けれどその日が秋の彼岸の中日であることに気づき、
嬉しい気持ちにもなりました。
父はちゃんと西方極楽浄土にいるよと
知らせにきてくれたように思えたからです。
きっとこれから満ち足りた時を過ごせるのだろうと
勝手に安心したものです。

夢の中で、父がそっと立ち去ろうとしたのも、
私が眠ったふりをして見送ったのも、
夢の中で折角会えたのに、
また別れを痛感することは、
「まだ辛い」と解っていたからだと思います。

夢の舞台が、なぜ卒業した小学校だったかというと、
ここには南門、北門、西門、東門と4つの門があり、
子供の私は、これで東西南北を覚え、
そしてまた、子供時代の楽しい思い出が
沢山ある土地であるからだと思います。

夢は自分が生み出すものです。
外からのサインを受け取るにしても
自分が受け入れられるかどうか、
許容範囲か否かまでチェックしてから
スクリーンい映し出されるような
思い遣り深い機能が働いていると思います。

時々、会いたいのに、
亡くなった人が夢にも出てきてくれない、
と仰る方がいらっしゃいますが、
目が覚めた時に、まだとても悲しく辛いから
遠慮してくれているのかもしれません。

勿論、「夢に出てきてくれる」といっても
夢は自分が生み出しているのですから
何が本当かは解りません。
亡き人が尋ねて来てなどおらず、
自分がイメージで創り出した
物語でしかないのかもしれません。

けれど、真偽はともかく、
夢を見た事で、
ほっとしたり、嬉しかったり、
自分を守り支えてくれる働きがあることは
私の中では確かでした。

春秋関わらず、お彼岸になる度に想い出す、
夢のお話でした。