2009年2月18日水曜日

女殺油地獄

近松門左衛門/作 人形浄瑠璃


「おんなごろしあぶらのじごく」なんと凄いタイトルでしょう。

享保6年(1721年)近松の死の前年の作品です。今から280年以上も昔、徳川吉宗の「享保の改革」あたりの、あまりにも有名なお話です。

しかしあらためて驚かされるのは、そんな昔から、いびつな親子関係、放蕩息子、借金に家庭内暴力、挙句に強盗殺人まで進んでしまう物語が作られていることです。人間たかだか300年程度の進化では大して変わらないということかもしれません。 

河内屋与兵衛は23歳、大阪天満町の大店、油屋「河内屋」の次男です。河内屋の先代である実父は、兄の太兵衛が7歳、与兵衛が4歳の時に他界。その後、彼らの母お沢は、番頭の徳兵衛と再婚し、店を盛り立ててきました。

兄は立派に独立をしているのですが、弟は放蕩の限りをつくし、家族に後始末をしてもらっています。切れやすく乱暴かと思えば、泣きついて後始末を頼む時は情感たっぷりに後悔を示してはまた同じ過ちを繰り返している姿は、さしずめ現代ならDVや依存、寄生の姿のようです。 

兄は見かねて父である太兵衛に、与兵衛に厳しい態度を示し、勘当するように忠告します。

しかし父太兵衛は答えます。「継父といっても親や親、子を折檻するのに遠慮はないはずだと思っても、親旦那様が亡くなるまで、そなたたちをボン様、兄様とよび、指図をしていた側だから、与兵衛は私を父とも親とも思っていないのだろう。まして先代の息子を追い出すなんてことは出来るはずもない。」 

そんな父に対し、ついには母お沢が与兵衛を勘当、家からたたき出します。事件はその後に起こります。

一家の向かいの同業者、油屋「豊島屋」の内儀お吉は、世話好きが高じてそんな一家に巻き込まれ、ついには犠牲者となってしまいます。

なぜ兄は、立派に独り立ちできて、弟は出来なかったのか。同じ経験をしても、同じ家庭に育っても、環境の変化が起きた7歳と4歳の年齢差は、どんな影響の違いをもたらしたのか。

また、継父故に、現実的な父としての機能を果たさない「父親不在」状態と、その分、母が非常に強い父性を示していた為に「母性」まで失われたアンバランスが何を生んだのか。

そして義理人情で何とかしようとした他人のお吉。見方によっては非常に主観的感情で動き世話をやく、女性の典型らしき彼女が犠牲になったのはなぜか。

基になった事件があったとも言われていますが、真偽は定かではないそうです。江戸時代に書かれた、現代の家庭内暴力や自立が出来ない放蕩息子とその家族のそのままの姿。特に歌舞伎の舞台では、タイトル通り、与兵衛がお吉を殺す時に油まみれになり足を取られ、もがきながらの凶行が彼の心のようで印象的でした。悲劇の結末に、心はふさぐものの、家族関係を考えさせてくれる作品です。
 (2009.2.18.)