2020年6月29日月曜日

長いつきあいの友の逝去と4本の夢

本当はタイトルは「麿山真実の夢日記 7」
わたくし個人の夢日記です。

けれどあまりにまだ近い夢であり、
今までのその中に並べる気になりません。
 
私の今までの人生の中で
約7割の時間を共にすごした友が逝きました。
5か月の闘病生活でした。
これは夢ではなく、現実の出来事です。

初めの2か月で、
覚悟をしなくてはいけないという想いと
それを打ち消したい想いを抱えました。

3か月目には本人とも、
彼女が旅立った後についての話をしました。
それでも奇跡を信じたかった頃、
新薬が効き初めました。
数値はぐんぐん良くなっていった4か月目でした。

その翌月「旅立った」とご家族からの連絡が入りました。
つい数日前にも電話をくれた彼女だったのに。

病名が確定してから5か月目のことでした。

急なことでした。
ショックは大きなものでした。

けれどそれでも、この5か月の間にみた4本の夢が
私を支えてくれてもいました。



1本目は、新薬が効き始め、
「退院も可能かもしれない」と
いわれていた頃に見た夢です。

私は彼女と連れ立って出かけ、
ハンバーガ―を二人分テイクアウトしました。
けれど家に戻って二人で開けると二人分どころか
大きさは購入したものの半分程度の
小さな別の食べ物にかわっていました。

詳細は控えさせていただきますが、
彼女の健康上の数値はよくなっているといっても
「連れて帰って来れるほどエネルギーは足りていない
別の部分が消耗している」と感じました。

この時、彼女と「ゆっくりよくなればいいよね」と、
そんな話をしました。

2本目は、結局、退院が延期になった4か月目の夢です。

私は彼女と一緒に、ある街を歩き、靴屋さんにはいります。
私は彼女に「もうすぐ貴女の誕生日だからどれか選んで。
プレゼントするから」と言います。
彼女は普段通りの彼女の笑顔や口調で
「そんなのいいわよ」と言いながらも
選び始めてくれました。
けれど彼女が靴に手を伸ばしかけた所で夢が終わりました。

この時も、私は彼女に、この夢の話をしました。
彼女は、入院生活も長くなり、
また薬の副作用もあり、歩行もままならず、
リハビリも行っていた頃でした。
私は彼女に
「残念ながらまだ貴女にプレゼントできるところまではいたらかなった。
でもあと少ししたら、靴を履いてくれるかもしれないね」と
夢の話をしました。

ただ、この段階で、本当のところは
不安でいっぱいでした。

ちっとも暗いイメージの夢ではなく、
むしろ楽し気な夢だったのですが、
だからこそ、細かい点でのひっかかりがありました。
けれどそんな思いは頭の中では打ち消しました。


3本目の夢は、彼女が旅立つ20日前でした。

夢の舞台は、私が暮らす場所の近くに実際にある橋でした。
この橋は今までにも、重要なポイントで
私の夢によくあらわれる橋でした。

夢では、この橋の向こう側に彼女が立っています。

初夏を思わせる良い天気です。
彼女は私を見て、こちら側に走ってこようとします。
私は「病み上がりなのだから私が行くから無理しないで」と
駆け寄りました。
彼女は和紙でつくったような淡い色の美しい日傘をさしています。

私は彼女の隣に並んでいるのですが

もう一人の自分が、自分と彼女が並んでいる姿を、
正面から眺めている構図でした。
私は「こうしてまた会えて本当によかった」と話し
彼女は「そうね」と笑っていました。

目覚めて「退院をしてまた会えるという正夢である」と
思い込もうとしている私がいました。
そう思い切れないから、むしろ不安が募るから
そう思い込もうとしたのです。

例えば彼女は普段から日傘は差しません。
その日傘で少し顔を隠していました。
私が見ていた構図は
二人が並んでいるのを遠くから見るような
客観的なものでした。

他にも細々とした理由はあるのですが、
個人的な内容が含まれるので
ここに記すことは控えます。

ともかくこの時も、
「口にすることで、正夢になりますように」
という願いを込めて、
彼女に夢で逢えたことを語りました。

夢の意味や、そのほかのサインを拾いながらも
黙って見守ってくれているような
もう一人の自分を感じながらの抵抗でした。

4本目の夢は、亡くなる6日前のことでした。

誰かが家に忍び込もうとしています。
不審な男性が4~5人いるようなので
「どなたですか?」と思い切って出ていき
追い払おうとします。
しかし彼らは目をそらしただけで
誰も何も答えず、少し離れてこちらの様子をうかがっています。
とても気持ち悪く怖さを感じましたが、
何とか追い払います。
彼らは何かを知らせに来たのかもしれません。
盗聴器や怪しい機械をあちこちにセットしていったかもしれません。

場面が変わり、私は寝台車のベッドに

横になっているようでした。
窓の外は夜で、漆黒の闇です。
その列車は何かトラブルがあり、
ずっと走り続け、停まれないでいたらしいと知ります。
所が、急に停止しました。

私は近くにいた人に「とまった?」と尋ねると

そうだと返事が返ってきました。
私は、これ以上動くことはないけれど、
「これでやっと外に出られるのだね」と
言ったところで目が覚めました。

もの悲しい想いがあふれる中、
すぐに起き上がらずにいました。
そして、闘病中の彼女と
寝台車に乗ったことがあるのを思い出しました。

それから数日、彼女は旅立ちました。
やっと病院から外にでて、家族の元に帰れました。


4本目の夢は、
本当にその現実が近づいているけれど、
まだ直視できるかどうかわからないと
夢を見せてくれる力が
判断してくれたのかもしれません。
彼女本人の姿は出てきませんでした。

しかしまだ時間があり、段階を追って
覚悟をしていかなければいけない時、
夢は彼女の姿を直接見せてくれました。

またこれは、面会がかなわない中、
不安でありながらも、
彼女と会えた嬉しい夢でもありました。

夢は本当に不思議です。
そしてまたもや夢に助けられています。
段階を踏んで、覚醒時のわたくしを護りながら
その日を迎えさせてくれました。

まだまだ、
ぽっかり空いた心の穴は当分埋まらないでしょう。
事あるごとに不意に大きな悲しみに襲われるでしょう。

大切な人を失ったことがある人だれもが感じる
あたりまえの喪失感です。

けれど夢が訪れてくれていたことで
悲しくても悔しくても、これが現実であり、
今の想いは必ず超えられる経験であるという
確信がいっそう強まります。

だからあえて元気になろうとか
早く立ち直ろうなどとも思わず、
じっと今を感じて、
自然に過ごしていくことができます。

勿論、何度もいいますが、
時々ふいに泣くでしょうけれど。
でも、泣かなくなるその日までの間、
今、現実の生活の中で出来ることはしていきます。
それは、こんな想いを言葉にすることです。

同じ悲しみを抱える彼女の家族や友人に
互いの想いを聞かせてもらって、聞いてもらって、
また、こうして書くことで、皆さんに読んでもらって
それだけで心が少し軽くなります。

そんなことがない方がよいけれど、
皆様も、どんな種類のものであれ、
もしも抱えきれるだろうかと心配になる思いを感じたなら、
語れる分だけを少しずつでよいから、
表に出していってくださいね。

今回は私はこうして皆さんにお話を聞いてもらって
とても助かりました。ありがとうございす。

それから、勿論、とても悲しいことはありましたが、
この間もかわりなく、いつも通り、
ご相談にのり、お話を聞かせていただいていましたから
これをお読みになっても、
今後もどうぞご心配なくお願いいたします。

彼女は、本当に
お日様のような人でした。
彼女の温かさは今もしっかり感じます。
いままでありがとう。これからもよろしくね。

そして皆さま、
最後にもう一度 読んでくださって
ありがとうございました。