2019年3月24日日曜日

麿山真実の夢日記6~お彼岸の亡父の夢

今日でお彼岸が開けます。
日頃はそれほど意識していなくても
仏教がベースになっている生活をしている方は
お彼岸にお墓を参る方も多いでしょう。

春分の日も、秋分の日も、
太陽が真東から昇り、真西に沈みます。
この為、西にある彼岸と東にある此岸が
もっとも通じやすい日になると考えられたので
彼岸にいる先祖の供養をするようになったとか。

個人的には春分、夏至、秋分、冬至と
それぞれに自然の力や変化を感じ、
それぞれに様々なことを感じます。

けれど、不思議なもので、
お彼岸はお墓参り、というような
生活習慣や環境が身近だからでしょう、
春分・秋分には、亡き人達の夢をよく見ます。
夏至・冬至には見た記憶がありません。

西と東の最短の道ができるから、
此岸である、こちらから
彼岸に向ってご挨拶に伺うのが
お彼岸でしょうが、
私の場合は、夢の中に来てもらって、
お盆が年に3回あるような気分です。


そして今年も、お彼岸の入りの夜、
亡父が遊びに来てくれました。
テーブルを囲み、世間話をし、
コーヒーを飲んだ後、
どこかへ出かけていきました。

他界して20年以上たつので
夢から覚めても、もう悲しい気持ちは起きません。
けれど他界後、すぐのお彼岸に
父が夢に現れた時は、胸がうずきました。

その夢の中で、
私は自分が卒業した小学校の教室にいました。
座って瞼をとじています。
しかし、目の前に父がやってくるのが見えています。

父は私の傍に赤いチューリップを一本そっと置いて、
少し笑って、そのまま立ち去ろうとしていました。
私はそのまま寝たふりをして送った方が
父の気が楽であろうと思い
声を掛けたいのを我慢して、
じっとそのままでいました。

立ち去ったのを確認してから
チューリップを胸に抱えました。
親族が教室に入ってきて、
今、父が来なかったか?と尋ねました。
私は「西門へ向かった」と指をさしました。

目が覚めると、私は眠っている間に少し泣いたようでした。
けれどその日が秋の彼岸の中日であることに気づき、
嬉しい気持ちにもなりました。
父はちゃんと西方極楽浄土にいるよと
知らせにきてくれたように思えたからです。
きっとこれから満ち足りた時を過ごせるのだろうと
勝手に安心したものです。

夢の中で、父がそっと立ち去ろうとしたのも、
私が眠ったふりをして見送ったのも、
夢の中で折角会えたのに、
また別れを痛感することは、
「まだ辛い」と解っていたからだと思います。

夢の舞台が、なぜ卒業した小学校だったかというと、
ここには南門、北門、西門、東門と4つの門があり、
子供の私は、これで東西南北を覚え、
そしてまた、子供時代の楽しい思い出が
沢山ある土地であるからだと思います。

夢は自分が生み出すものです。
外からのサインを受け取るにしても
自分が受け入れられるかどうか、
許容範囲か否かまでチェックしてから
スクリーンい映し出されるような
思い遣り深い機能が働いていると思います。

時々、会いたいのに、
亡くなった人が夢にも出てきてくれない、
と仰る方がいらっしゃいますが、
目が覚めた時に、まだとても悲しく辛いから
遠慮してくれているのかもしれません。

勿論、「夢に出てきてくれる」といっても
夢は自分が生み出しているのですから
何が本当かは解りません。
亡き人が尋ねて来てなどおらず、
自分がイメージで創り出した
物語でしかないのかもしれません。

けれど、真偽はともかく、
夢を見た事で、
ほっとしたり、嬉しかったり、
自分を守り支えてくれる働きがあることは
私の中では確かでした。

春秋関わらず、お彼岸になる度に想い出す、
夢のお話でした。

2019年3月17日日曜日

おばあちゃんと孫のお話

先日、金刀比羅宮を参り、登れる足腰であることに感謝し、
これが当たり前ではないことを忘れてはいけないと
改めて思うということを書きました。

旅人から旅人へと連れられ世話をされてお参りした こんぴら狗

今日はそれから数日後のお話。

商店街を歩いている時のことでした。
そこはレンガ敷きというのでしょうか、
石畳のような地面になっていました。

2~3歳位の男の子と、
幼稚園くらいの女の子の間で
2人の手を引く女性を見かけました。

女性はお若く見受けられましたが、
会話からおばあちゃんとお孫さんであることが
解りました。

次の瞬間、
そもそもおぼつかない足取りだった男の子が、
顔から地面に突っ込みそうになりました。

おばあちゃんは、
「あっ!」と大きな声を発し、
男の子と繋いだ手を、
ぐっと引き上げました。
おかげで男の子は転ばずにすみました。

素晴らしい反射神経だったのですが、
さすがにおばあちゃんの「あっ!」という叫びには
鋭いものがありました。
その次に「もう…」と言う言葉が出てきました。

一瞬「もう、ちゃんと歩きなさい!」と続くかな、
というような勢いでした。

けれど女性の口から出たのは
「もう、びっくりしたねえ」でした。

そして「ここ、地面が凸凹しているからね、
ばあばもこの前転びそうになったのよ。
気をつけて歩こうね」と、優しい笑顔を向けました。

男の子は「ばあばも?」と顔を見上げました。
女性は「そう、ばあばも…。気をつけなくちゃね」と
顔を見合わせて笑っていました。

教えていただいたと、
つくづく感じました。

例えば、小さな子供の手を引いた若いお母さんが、
自分の早いペースで歩き、
子供は引きづられそうになったり、
必死に早足でついていく様子をよく見かけます。

冒頭に申し上げたように、
「石段を上がれることが当たり前ではないこと」を
忘れずにいると、
この点も少しは緩和されるかもしれません。

子供は「そのペースが当たり前ではない」ですし
年長者も同じでしょう。
その点、ある意味、同じくらいのペースで歩ける
おばあちゃんと孫は理解し合いやすいことでしょう。

そして年長者には、子供を待ってあげられるような、
日々の暮らしの中のゆとりがあります。
これも、じっくり成長していきたい子供には
ありがたいことでしょう。

ただ、この待てるゆとりは、
人生経験や生活スタイル次第なので
追われるように生活している時代には
そう簡単にはいかないでしょう。

でも「心掛けよう」と、
胸に抱いているだけでも
違ってくるように思うのです。

見習って、実践できる所は
大いに真似をしていきたいものです。

例えば、子供が転びそうになった時、
「あっ!もう…」の後に
「ちゃんと歩きなさい!」と言ってしまう
若いお母さんも、
本当はその言葉の前には
「びっくりした」があるのではないでしょうか。

或は「この子にケガさせたらと思うと怖かった」
があるのかもしれませんし、
又は子供とは全く関係なく
「なんで私一人こんなに大変なの!」かもしれません。

しかしつい、
それらを全部ごちゃまぜにしたまま、
ただ不快なものとして
表してしまいがちです。

けれど、それぞれの気持ちの段階を追って、
言葉にすれば、自分への罪悪感や違和感、
不快感も増幅されませんし、
何より子供にも愛情が伝わるでしょう。

子供を心配してつい怒りたくなったなら、
心配を伝えればよいですし、
私一人だけ!と言う想いなら、
話し合う相手は子供ではなく
配偶者や周囲の大人です。

アンガーコントロールと言う言葉も
一般的になってきた昨今ですが、
「カッ!」となった
「その前にどんな思いがあったか」
その地点で立ち止まれるようなリズムで
暮らしていきたいと思うこの頃です。