2019年3月17日日曜日

おばあちゃんと孫のお話

先日、金刀比羅宮を参り、登れる足腰であることに感謝し、
これが当たり前ではないことを忘れてはいけないと
改めて思うということを書きました。

旅人から旅人へと連れられ世話をされてお参りした こんぴら狗

今日はそれから数日後のお話。

商店街を歩いている時のことでした。
そこはレンガ敷きというのでしょうか、
石畳のような地面になっていました。

2~3歳位の男の子と、
幼稚園くらいの女の子の間で
2人の手を引く女性を見かけました。

女性はお若く見受けられましたが、
会話からおばあちゃんとお孫さんであることが
解りました。

次の瞬間、
そもそもおぼつかない足取りだった男の子が、
顔から地面に突っ込みそうになりました。

おばあちゃんは、
「あっ!」と大きな声を発し、
男の子と繋いだ手を、
ぐっと引き上げました。
おかげで男の子は転ばずにすみました。

素晴らしい反射神経だったのですが、
さすがにおばあちゃんの「あっ!」という叫びには
鋭いものがありました。
その次に「もう…」と言う言葉が出てきました。

一瞬「もう、ちゃんと歩きなさい!」と続くかな、
というような勢いでした。

けれど女性の口から出たのは
「もう、びっくりしたねえ」でした。

そして「ここ、地面が凸凹しているからね、
ばあばもこの前転びそうになったのよ。
気をつけて歩こうね」と、優しい笑顔を向けました。

男の子は「ばあばも?」と顔を見上げました。
女性は「そう、ばあばも…。気をつけなくちゃね」と
顔を見合わせて笑っていました。

教えていただいたと、
つくづく感じました。

例えば、小さな子供の手を引いた若いお母さんが、
自分の早いペースで歩き、
子供は引きづられそうになったり、
必死に早足でついていく様子をよく見かけます。

冒頭に申し上げたように、
「石段を上がれることが当たり前ではないこと」を
忘れずにいると、
この点も少しは緩和されるかもしれません。

子供は「そのペースが当たり前ではない」ですし
年長者も同じでしょう。
その点、ある意味、同じくらいのペースで歩ける
おばあちゃんと孫は理解し合いやすいことでしょう。

そして年長者には、子供を待ってあげられるような、
日々の暮らしの中のゆとりがあります。
これも、じっくり成長していきたい子供には
ありがたいことでしょう。

ただ、この待てるゆとりは、
人生経験や生活スタイル次第なので
追われるように生活している時代には
そう簡単にはいかないでしょう。

でも「心掛けよう」と、
胸に抱いているだけでも
違ってくるように思うのです。

見習って、実践できる所は
大いに真似をしていきたいものです。

例えば、子供が転びそうになった時、
「あっ!もう…」の後に
「ちゃんと歩きなさい!」と言ってしまう
若いお母さんも、
本当はその言葉の前には
「びっくりした」があるのではないでしょうか。

或は「この子にケガさせたらと思うと怖かった」
があるのかもしれませんし、
又は子供とは全く関係なく
「なんで私一人こんなに大変なの!」かもしれません。

しかしつい、
それらを全部ごちゃまぜにしたまま、
ただ不快なものとして
表してしまいがちです。

けれど、それぞれの気持ちの段階を追って、
言葉にすれば、自分への罪悪感や違和感、
不快感も増幅されませんし、
何より子供にも愛情が伝わるでしょう。

子供を心配してつい怒りたくなったなら、
心配を伝えればよいですし、
私一人だけ!と言う想いなら、
話し合う相手は子供ではなく
配偶者や周囲の大人です。

アンガーコントロールと言う言葉も
一般的になってきた昨今ですが、
「カッ!」となった
「その前にどんな思いがあったか」
その地点で立ち止まれるようなリズムで
暮らしていきたいと思うこの頃です。

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