2009年5月27日水曜日

あかんべえ(上/下)

宮部みゆき/作 新潮社



江戸深川の料理屋「ふね屋」は、12歳の少女[おりん]の父母が開いたばかりの店。

引っ越してきてまもなく、おりんは病に倒れ、高熱にうなされます。新居でもあるふね屋に、幾人かの先住人がいたことに気づいたのは、その時からでした。彼らは現身ではなく、侍のお化け「玄之助」、おりんにあかんべえをする同じ年頃の「お梅」、三味線を爪弾く艶っぽい姐さん「おみつ」、按摩の「笑い坊」等の面々。 

おりんは玄之介に尋ねます。「お侍さんはお化けなんですよね?」「ずっとここにいるんですよね?」「ということは、あの、この家にあの、たたっているとかそういうことですか?」玄之介は答えます「祟らないと、居てはいかんのかな?」 

「おばけ」といっても怖いものばかりではないと知るおりんでしたが、「ふね屋」開店の時、抜き身の刀が暴れだし、座敷は大変なことになります。

玄之介たちに助けられたものの、このままでは店は立ち行きません。おりんは店や家族を守る為、そして、おばけたちを成仏させるために、彼らと共に「この場所の謎」を解明し始める、長編時代ミステリーでありファンタジーです。

読後、人格、或いは魂と呼ばれるようなものの「再生」の物語だったと感じていました。

「亡者」になるには理由があるし、誰しもそうなる可能性があるけれど、どんな理由があっても、「亡者にならない道を選ぶことも出来る」と、登場人物みんなが応援してくれているかのようです。それに何と言っても「見えないものたち」との付き合い方をごく自然に語り伝えてくれる、嬉しい作品でもあります。 

個人的な思いですが、日頃から、例えば、「引っ越した家に何かいたら嫌」とか「ここ、何かいるらしいね?!怖い」とか、はっきり解からない時ほど嫌そうな顔をしたりする人を見ると、悲しい気持ちになります。

むしろ「はっきり解からないからこそ」そんな風に反応しているのでしょうが、だったら逆に、まずは「はじめまして。お邪魔します」と言えないものかしら、と思います。

「それ」の「善悪」は別にして、殆どの場合、おそらくは、こちらの方が後から押しかけてきた侵入者、新参者のケースが多いのではないでしょうか。相手が何であれ、礼は尽くしたいものです。

あらためて言うまでもなく、自分の日常的ルールや社会の常識が全てではありません。

でも、頭では解かっていても、自分の範囲を超える未知を嫌悪したり、異質だからとつい排除しようとしたりしまうこともあるかもしれません。自分の常識を押し付けてコントロール下に置こうとしたり、或いは、人は弱いからこそ、我が物顔で侵略するような言動も取りがちかもしれません。

でもここは、強くいられるようになりたいなと、自然にそんなことを、再認識させてくれたようにも思います。

物語の力はやはり素晴らしい、と、あらためて実感させてくれた一冊です。
(2009.5.27.)

2009年2月18日水曜日

女殺油地獄

近松門左衛門/作 人形浄瑠璃


「おんなごろしあぶらのじごく」なんと凄いタイトルでしょう。

享保6年(1721年)近松の死の前年の作品です。今から280年以上も昔、徳川吉宗の「享保の改革」あたりの、あまりにも有名なお話です。

しかしあらためて驚かされるのは、そんな昔から、いびつな親子関係、放蕩息子、借金に家庭内暴力、挙句に強盗殺人まで進んでしまう物語が作られていることです。人間たかだか300年程度の進化では大して変わらないということかもしれません。 

河内屋与兵衛は23歳、大阪天満町の大店、油屋「河内屋」の次男です。河内屋の先代である実父は、兄の太兵衛が7歳、与兵衛が4歳の時に他界。その後、彼らの母お沢は、番頭の徳兵衛と再婚し、店を盛り立ててきました。

兄は立派に独立をしているのですが、弟は放蕩の限りをつくし、家族に後始末をしてもらっています。切れやすく乱暴かと思えば、泣きついて後始末を頼む時は情感たっぷりに後悔を示してはまた同じ過ちを繰り返している姿は、さしずめ現代ならDVや依存、寄生の姿のようです。 

兄は見かねて父である太兵衛に、与兵衛に厳しい態度を示し、勘当するように忠告します。

しかし父太兵衛は答えます。「継父といっても親や親、子を折檻するのに遠慮はないはずだと思っても、親旦那様が亡くなるまで、そなたたちをボン様、兄様とよび、指図をしていた側だから、与兵衛は私を父とも親とも思っていないのだろう。まして先代の息子を追い出すなんてことは出来るはずもない。」 

そんな父に対し、ついには母お沢が与兵衛を勘当、家からたたき出します。事件はその後に起こります。

一家の向かいの同業者、油屋「豊島屋」の内儀お吉は、世話好きが高じてそんな一家に巻き込まれ、ついには犠牲者となってしまいます。

なぜ兄は、立派に独り立ちできて、弟は出来なかったのか。同じ経験をしても、同じ家庭に育っても、環境の変化が起きた7歳と4歳の年齢差は、どんな影響の違いをもたらしたのか。

また、継父故に、現実的な父としての機能を果たさない「父親不在」状態と、その分、母が非常に強い父性を示していた為に「母性」まで失われたアンバランスが何を生んだのか。

そして義理人情で何とかしようとした他人のお吉。見方によっては非常に主観的感情で動き世話をやく、女性の典型らしき彼女が犠牲になったのはなぜか。

基になった事件があったとも言われていますが、真偽は定かではないそうです。江戸時代に書かれた、現代の家庭内暴力や自立が出来ない放蕩息子とその家族のそのままの姿。特に歌舞伎の舞台では、タイトル通り、与兵衛がお吉を殺す時に油まみれになり足を取られ、もがきながらの凶行が彼の心のようで印象的でした。悲劇の結末に、心はふさぐものの、家族関係を考えさせてくれる作品です。
 (2009.2.18.)