2005年12月15日木曜日

麿山真実の夢日記4~トイレと電話の夢

こんな夢をみました。
トイレと電話の夢とタイトルをつけました。

トイレに入っている。用をたすためという感じではなく、くつろいだ空間になっていてる完全個室。座っているのも便器ではなく椅子なので、パウダールームのような感じ。奥には浴槽もあるのかもしれない。白いきれいな光とふわふわの絨毯なのか、やわらかい床、明るく暖かい気持ちがよい場所。

しばらくして、ドアをノックされた。「いないの?」と声が聞こえる。友人のYさんの声。いつのまにかすりガラスになったドアのうえの方に姿まで映って見えている。ここで、実はこの個室がずいぶん床から深く掘った場所にあることに気づく。ドアは上の方についていて、出る時にはかなり上っていかなくてはいけないようなつくり。 だいたい家そのものに鍵はかかっていたはずなのに、どうやっていつの間にか入ってきたんだろうと思う。

Yさんはドアを開けようとしている。用をたしているわけでもないけれど、気分的には同じなので、「入ってますからあけないでください」と云う。しかし彼女には聞こえないらしく、ドアをいじっている。今にもあけそうな勢いなので「もう少ししたら出ますから、ちょっとこのままにしててください」ともう一度云う。

夢の背景
診断が早く終わった夕方に見た夢です。脱力して、くつろいでいるうちに、うとうとしていました。目覚めてから電話を見ると、夢に出てきたYさんからの留守電が入っていました。電話は別室にあり、診断中は消音にしていて、そのままだったため、気づけませんでした。丁度くつろぎ始めた頃に一度と、目覚める直前に一度、メッセージが入っていました。

Yさんには申し訳なかったのですが、どうやらリラックスして心身のバランスと整える睡眠の中(トイレ)に入っている最中なので、私はそっとしておいて欲しかったのでしょう。

体と意識は眠っていても、軽い睡眠中の活発な潜在意識が、彼女からの電話に気づきながら、ご辞退したのでしょう。多分、実際に電話を取っていても「後でかけます」と申し上げたことと思います。彼女には、折り返し連絡をした際に、このことと夢の話をして、大笑いされました。

今回は来訪者であるYさんが、私に話したいことがあり、強く思ってくれていたことが、夢にまでお越しになった理由かもしれません。

周囲が活動している時間に午睡をとったりすると、その動きを外に見に行っているような夢をみることは割と多く起こります。忙しい時ほど、何か面白いものが見られるかなと、楽しい気分で、少し休憩・うたた寝をして、滋養してみてください。ともあれ、休息は大切です。

(’05.12.15.掲載)

2005年3月23日水曜日

麿山真実の夢日記3~福岡西方沖地震

余震が続く福岡です。お見舞いのお電話やメールをありがとうございました。本棚とテレビが倒れ、電子レンジが落下しましたが、怪我もなく、住居の破損もとりあえず、現状では見つかっていません。

福岡市近郊の皆さんは、まだしばらく落ち着かないことと思いますが、お互いに気をつけてまいりましょう。 さて、夢日記は、今回の地震についてのものです。3月に入ってからの目立ったものをあげてみました。

 
2005.3.4
海辺にいる。私は海を眺めている。左側で海女さんがもぐって何かをとっている。浅いので背中が見えている。昔の海女の真っ白な装束。ずっと海底を見ている。水中に潜ったまま浮いてこない。大きな荷物や袋を抱えて移動する人たちがいる。
 
2005.3.8.
Nさん(大阪在住の友人)にどこかを案内してもらっている。車に乗せてもらう。私は助手席。公民館のような所に連れて行ってくれた。そこでは年配者たちたくさんいる。避難しているようにも見える。皆が、急だったから何の準備も出来なかったけれどと、惣菜などを買ってきてくれて、もてなしてくれる。
 
2005.3.9.
海を見ていた。ごみひとつない海岸。とてもきれいな海岸だが、きれいすぎて不気味。サーフィンスポットのような荒い波。サンゴ礁ではない茶色の砂浜。しばらく見ていると白波が立ち始めた。これは少し高い、と気づく。先日の津波のこともあるので、早く逃げたほうがいいと思う。

走って逃げる道は、海岸と舗装された大通を結ぶ防風林の道から、広い道幅の舗装道路に変わる。一直線の道。水は後ろから追ってきて、すでに足元はくるぶしくらいまでは浸っている。しかし水に足を取られたり、すくわれる感じはない。透明のそれから逃げようとしている感じ。小学校低学年くらいの女の子が逃げ遅れそうになっているので、手を引いて走る。

女の子は、しばらくして、もう自分の方が早く走れることが解ったからか、又は怖くてパニックだったのか、急に私の手を振りほどいて前に出て走り出した。度を越した、すごい勢いで転げるように走るので、大丈夫だろうかと思ったが、やはりすぐに滑って体が宙に浮いた。

丁度、橋の欄干にいたが、彼女はその隙間にすっぽりはまり、そのまますり抜けると、深い底にに続いているブロックで作られた川べりをすべって、ダムのように深い川に落ちてしまった。とても深く、暗い隙間。

残念だが、もう助けには行けない。私はそんな方法も知らなければ、自分自身も走らなければならない。一時的に彼女を助けることはできたように見えたが、彼女は手を振りほどいて、自ら死に走った。私にとめることはできなかった。私は無力だが、それが現実であることを冷静に受け止めている。

彼女の死が決まっていたのなら、それを変えることはできず、むしろ彼女が自分で運命の通りの選択をしただけ。私などが介入できるような次元ではない、と思いながら走り続ける。

2つ目の夢か、先の続きかもしれない。かつて住んでいた関西の自宅前。川を隔ててこちらから建物を見ている。しかし次のシーンでは、裏の庭山も見えている。はじめのシーンで「みた」と思った建物はなくなっていた。
 
2005.3.10.
知らない土地。しばらく行くと海が見える。海岸はバリやサイパン、タイなどアジアを思わせる海岸。コバルトブルーの海。思わぬ急な海の出現に、すごく喜ぶが、海の色はくすんで、白波が目立つ。

「泳ごう」と連れの人がいうが、見ると、そこには線路が引いてあり、汽車がとまっている。とてもクラシックな車体。本当に走れるの?とも思う。船着場のように陸地の入り口に接しているそこは、駅のホームのようになってしまった。汽車はどこからきて、海に続いている線路はどうなっているのかと思う。海の中に何かが出来ているのだと思う。
 
2005.3.16.
海沿いのような土手にいる。左右が海(一見2本の大河に挟まれているよう)の真ん中にいる。志賀島手前の海の中の海上道路(福岡市東区)に似ている。友人たちと遊ぶためのビーチボールを持っている。私はうっかり、それを水平線に向かって左側の海におとしてしまう。

そこで遊んでいた見知らぬ少女たちが、とってくれそうなのでそのまま見ていたら、度をこしたふざけ方をして、右側の海に落としこんでしまった。

途中までは滑り落ちるような絶壁だが、行けないことはないようなので、自分で行こうと思う。しかしボールはそのさらに裏、鍾乳洞のように入り組んだつくりの穴にはまりこんでいるらしい。深い海溝にも見える。

少女たちは、「自分たちで取りに行くから責めるな」といわんばかりで動いてくれるが、どう考えても取りにいける場所ではない。そもそも、こんなに深く暗い海底に続く深い溝と傾斜を、立ち入り禁止にしていないのは危ないと思う。
 
2005.3.19.(前日)
太極拳の先生が「しゃがみ方がうまくないと大変」と話し出す。「上虚下実なら安定するが、上が重いと倒れるから気をつけなくてはいけない」と教えてくれる。
 

以上がここしばらくの間の、地震に関すると思われる夢です。他にも、大きな不安感だけで目覚めるものや大きな事故の夢もありました。「近く注意しなくてはいけないことがある」と夢は知らせてくれました。

3月4日の夢では海の底に目を向けています。

3月9日の夢は、スマトラ沖地震を連想させるものでした。

さらに、同夜の第2部の夢には、かつて7~8年暮らした、大阪と神戸の間にある場所が出てきます。阪神淡路大震災時には暮らしていませんが、その後、訪れた時には、震災の影響で、自宅だった建物は既になく、手付かずの空き地になっていました。

夢では、はじめは建物を見て、次になくなっている状態を見ています。建物がないその場からは、震災が連想できます。

ただ、この場所は、私「個人の象徴辞典」では、肉親に関する出来事の際によく現れる場所なのです。ですから、まだ震災より肉親への心配を先にしました。丁度祖母が体調を崩していたので、ここに気持ちが向きました。

ちなみに3月8日の夢に出てくるNさんは、阪神淡路大震災を経験していらっしゃいます。彼女の自宅は比較的被害が少ない地域でしたが、他の方のために相当の尽力をなさいました。(彼女が出てきた夢は、避難所を暗示するものだったのでしょう。近所の小学校は実際に避難所になりました。)

その後、心配だった祖母も、峠は越しましたが、その後も、まだ不穏なイメージの夢が続きます。そこで漸く、これは少し違うなと思い始めました。

16日になると、さすがに視点は変わりました。「ダムに飲み込まれた少女」と同じく、またしても「海の中にある深い海溝にボールが落ちてしまう夢」です。

ピンと来ていない時には、同じモチーフが繰り返し夢に現れるパターンです。そこでやっと、地底や海に関する災害や事故を思い浮かべました。

けれど元々地震が少ない福岡です。福岡から海を進むと、朝鮮半島に着きます。自然の力を暗示する夢ですが、何か別の、国際関係に関わる事件等を考えてみたりしました。或いは、よその地の地震はどうかとも考えました。

ちなみに最後の夢で連想している志賀島は、震源地にも近く、実際に今回の地震で17センチ動いた、地続きになっている島です。

また、私「個人の夢辞典」にはトラブルの時に、「少し気味が悪い少年・少女」が出てくることが多いのです。夢の中の「見知らぬ子供たち」はここから出てきていると思われます。

そして、最後の夢には、いつもお世話になっている氣に精通なさっている太極拳の先生が登場しました。先生は80歳も半ばの方ですが、いつも凛としてお立ちになり、演武を見せ、体のバランスのことをよくお話になります。

上虚下実=上は軽く、下はしっかりと、ということですが、私はこれを自宅の家具には応用できていなかったようです。地震の際に、上の方が重かった本棚とテレビが倒れました。ちなみに、地震の時、当の先生は、揺れに任せて立っていたそうです。

以上が、ここしばらくの夢日記です。一人での夢解きでは、意識が固定されると本質を見落とす心配があることを改めて実感しました。けれど、それでも、大きな何かを感じて、警戒の気持ちは受け取らせてもらいました。

又、夢の中で「残念だが、もう助けには行けない。私はそんな方法も知らなければ、自分自身も走らなければならない。」「私は無力だが、それが現実であることを冷静に受け止めている」「私などが介入できるような次元ではない、と思いながら走り続ける。」というように、人間の無力さを実感してもいました。

これらによって、いつのまにか心の準備が出来ていて、地震の瞬間に「ああ、これか・・」と思い、冷静でいることができました。

その後の余震なども大変でしたが、「夢は見ただけでも意味がある。夢ってありがたい」と、改めて声を大にして言いたいような、嬉しい気持ちでもありました。

又、夢は本人が耐えられるだけの材料しか与えてくれない所が、優しい所です。もし、仮に、大きな地震という直接的な夢を見ていたとしても、自然の前では、無力な人間であることに変わりはありません。何となくの心の準備をさせてくれることが、またありがたくも思いました。

この夢のやさしさには以前も、とても感謝したことがあります。それはまた次の機会にお話します。
(’05.03.23.掲載)

2005年3月8日火曜日

麿山真実の夢日記2~弟が生まれる日の夢

 

記憶の中の2番目に古い夢は、先の夢日記1と同じく3歳の頃です。当時は関東に暮らしていました。夢を見たのは、先週とほぼ同じ時、3月の大雪の日でした。

夢の中でも、雪が降っていました。
私はいつもの勝手口からではなく、あまり使わない正面玄関から外に出ようとしていました。雪はもう沢山積もっていました。雪で遊ぼうと思います。しかし玄関を出ようとすると、すぐ左に、たてがみが立派なたくましいライオンが座っているのに気づきました。

一瞬すくみますが、何とか隙をついて、前をすり抜けようと思案します。しかし、出ようとすると見透かされて「がおーッ」と大きな口を開けて見せるのです。ほえた声と、開いた大きな口が怖くて、途方にくれました。「出たら、噛まれてしまうかもしれない」と思いました。

逆側を通って出たらどうだろうと右側を見ました。すると右側には、トラがいました。トラはお腹を地面につけてじっと横になっていました。怖くはなくなっていますが、なんだか歯がゆい気持ちでした。

朝、目覚めると、本当に沢山の雪が積もっていました。朝食を済ませた後くらいだったのでしょう。私は一人で、いつもは遣わない正面玄関から外に出ていました。勝手口側より、正面玄関側には植物が多かったので、雪がふわふわ、沢山積もっていることを2階から確認済みだったからです。ドアをあけようとする時まで、夢のことは忘れていたと思います。

でも、扉に手をかけた所まで来て、ふと思い出し、不安になったことを覚えています。それでも、「もしライオンがいたら、鍵をかけて部屋に戻ればいい」と作戦(?!)をたて、薄く隙間を開けて、まずは外をうかがいました。もちろん、ライオンがいるはずはありません。「やっぱりそんなわけないものね」と、誰がいるわけでもないのに、気恥ずかしさを隠しながら、ほっとしたのではないかと思います。

その後は、夢のことなどすっかり忘れて、夢中で雪だるまを作っていました。

しばらくすると、サイレンが聞こえてきました。近かったことに驚いたのか、心細くなったのか、私は一旦家の中に入りました。すると、奥から父が現れました。

「今、お母さんは病院に行ったから、後で一緒に行こうね」と云われました。すぐにサイレンが救急車だったこと、それに母が乗っていたことが解かりました。私は、慌てて通りに出ようとしました。すると父が後ろから「大丈夫だから、おうちに入っていなさい」と大きな声で止めました。なんだかしっくりこない気持ちのまま、しぶしぶ家に入りました。

臨月だった母は、季節はずれの積雪による道路交通事情もあり、安全のために救急車に乗っていったようでした。彼女は便利な通用口である勝手口から出ていました。子供の私は「黙っていかなくてもいいのに」と、としばらくの間ふくれていた記憶もあります。夢の中の歯がゆさは、これだったのかもしれません。しかし、大事ではないといっても、サイレンを鳴らして行ったくらいですから、本当の所、大人たちは大慌てだったかもしれません。

それからしてしばらくして、家族が一人増えました。私は生まれて初めて、まだ皺々の、まさに真っ赤な赤ちゃんを見て、「これ、おサルさん?」と、父に尋ねて叱られました。

雪積もる正面玄関で、外に飛び出そうとした私は、大きな声で「雄ライオン=父」に止められました。彼はまさに玄関の左側に立っていました。私が追って出ようとした通りは、玄関を出てすぐ右です。母性や出産の意味を持つトラは、夢でも右側に横になっていました。それが母を暗示していたのかもしれません。救急車も、家のすぐ右に停まっていたそうです。

記憶の中で、2番目に古い夢は、小さな潜在知覚夢ともいえるかもしれません。新しい生命を迎えるという、大きなことが身近に迫り、子供の無意識は、いつもより沢山の刺激を受けていたのかもしれません。今年も、季節はずれの3月の雪の日に生まれた赤ちゃんがいるかもしれませんね。

後々「あなたが生まれた日はね」と沢山話してあげた欲しいと思います。どうぞいつまでも健やかでありますように。

(’05.03.08.掲載)

2005年3月2日水曜日

麿山真実の夢日記1~一番古い夢


覚えている一番古い夢は何ですか?

私のは、幼稚園に入る前、まだ3歳の頃の夢です。それは、円谷プロの、おそらく今でもよく知られた怪獣に追いかけられる夢でした。

夢を見る前日、どなたかから、子供向け雑誌をいただきました。見開きいっぱいに、テレビと同じシーンが写真と文字で掲載されていました。あまり縁がない本だったので、珍しかったのだと思います。夜になってもひとりで眺めていました。後に、夢の中で追いかけられることになった怪獣とヒーローの戦いが繰り広げられています。

お話によると、その怪獣はとても強いらしく、ヒーローはかなりピンチ、しかも「つづく」と、結末がわからなかった記憶があります。退治してくれていなかったのが、よくなかったのかもしれません。

夢は、いつもの公園で私が一人遊んでいる所から始まりました。ブランコを揺らしていると、遠くに怪獣が見えました。みるみるうちに近づいてきました。すると周りは、本のページとそっくりに変わりました。

誰もいなかったはずなのに、本の中のように人が逃げていました。本の中にいるような、いつもの公園のような、必死に逃げながらも、私を含めた本をのぞいているようにも思える、奇妙な世界でした。そして何より、もうただ、とにかく怖くて怖くてたまりませんでした。幸い、眼が覚めた時はもう朝になっていたので、すぐに母に泣きつけました。疑似体験とはいえ、その時点での人生最大の恐怖体験だったかもしれません。

母は夢の話を聞いて、今度からは寝る前に見るものには気をつけるようにといいました。出来れば楽しい夢がいいから、好きなものやうれしいものを見て寝るといい、とも教えられました。実は、これは夢に働きかけることです。今に通じる大きな教えだったかもしれません。しかし、実際にはそう上手くはいかず、その後も夜中に恐る恐る眼を開けるような経験か学ぶことは、多々ありましたが。

成長期の子供が追いかけられる夢を見ることは多いものです。日々遭遇する初めての沢山の刺激への適応と葛藤、それに、実際に体が伸びていることからの刺激も加わります。この夢にもその要素はあるのでしょう。

けれどもうひとつ「面白い」と、後に感じたのは、この時、母が妊娠中だったことです。さらに私は、この夢を見た時に「公園に行ったら本当に怪獣がくるかもしれないから、しばらく遊びに行かないほうがいいんじゃない?」と云ったそうです。

個人的な古い楽しい夢の思い出なので、余計な解釈はいらない気もしますが、もし夢を解くなら、赤ちゃんが生まれてくることは楽しみだったのですが、その分のしわ寄せがすこしずつ生じていた頃です。ちょっとした不満や、今後への不安が寝る前の刺激を借りて怪獣になったのかもしれません。

さらに、広場恐怖症にも似て、「家を離れないほうがいいのかもしれない、自分が遊んでいるうちに大変なことになるかもしれない」という、自覚できない気持ちが現れた夢だったとしたら、3歳児もなかなかやるものです。お子さんがいる方は、彼らが小さいならなおのこと、是非興味を持って、夢の話を聞いてあげてください。

そして、実はこの出来事に関係して、もうひとつ忘れられない夢があります。それが私の2番目に古い夢です。この夢から2~3ヶ月後くらい、丁度今の季節のことなので毎年思い出します。近いうちに掲載します。

(’05.03.02.掲載)