2019年4月1日月曜日

新元号「令和」と大伴旅人と大宰府

新年号が決まりました。中継を見ていました。
由縁が話され始めて、正直、かなり興奮しました。
個人的に、昔から好んでいた
大宰府と大伴旅人が元にあったからです。

私は太宰府に暮らしたことがあります。
そして、同じく移り住んだ身でしたから、
大宰府に赴任した人々が詠んだ
万葉集の歌と気持ちが重なることもありました。

大宰府には、大伴旅人を中心に、
山上憶良、小野老、沙弥満誓、等々が参加し、
筑紫歌壇という華やかなサロンができました。

歴史には諸説あるので、詳しい事は解りませんが、
この旅人邸は、太宰府市の
今の坂本八幡宮あたり、
という説があるそうです。

令和の元になった序文が謡われた「梅花の宴」は
このこの旅人邸で開催されたそうです。

730年正月13日、大宰府の役人他、
九州各地の国司が参加したと
物の本で読んだことがあります。

それが序文として
「天平二年正月十三日に、師(そち)の老の宅にあつまりて、宴会を申く。時に、初春の令月(れいげつ)にして、気淑く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。」とあり、この令月の「令」と風やわらぐの「和」なのだそうですね。


大宰府政庁跡地

遠出が出来ない時、私はよく大宰府政庁跡地から
太宰府天満宮あたりや、
二日市温泉から天拝山あたりを散歩します。

この辺りには、あちこちに万葉集の歌碑があります。

空が高く広く見上げられるこのあたりの自然と、
言葉と旋律の力を感じながら散策するのは
とても気持ちがよいのです。
そして何となく、飛鳥を思い起こさせます。



好きな場所、そして
大宰府の梅花の宴に集った人達に
スポットライトが当たったようで、
嬉しい新年号となりました。

また万葉集そのものに注目が集まり、
奈良はじめ、歌が詠まれた各地と一緒に、
美しい言葉と旋律が広まってくれればと思うと、
なお楽しみです。

ちなみにこの宴で大伴旅人が詠んだ歌は
「わが園に 梅の花散るひさかたの
 天より雪の 流れ来るかも」(5巻822)

梅の宴とは違いますが、この歌も有名ではないでしょうか。
「青丹によし 寧楽(なら)の 京師(みやこ)は 
 咲く花の 薫(にお)ふがごとく いま盛りなり」
(3巻328)

これは奈良の歌だと思われている事が多いようですが、
小野老が大宰府着任を祝う宴で詠まれたそうです。

ちなみにこの歌碑は大宰府政庁跡地の向かって右側の方にあります。

また、歌碑といえば、二日市温泉に立つ、旅人の歌が印象的です。
二日市温泉から天拝山のお話は、また次回にします。

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